「星の王子さま」とウィーンのバラ園 --- 長谷川 良

当方は今回、読者にウィーン市内の散歩道を紹介したい。決してベートーベンが交響曲「田園」の構想を得たといわれるハイリゲンシュタットの“ベートーベンの散歩道”に対抗する思いからではない。喧騒な社会で疲れた現代人が気さくに歩ける散歩道を報告したいだけだ。郊外まで足を向ける必要はない。ウィーン市1区の散歩道だ。


▲「星の王子さま」とバラの場面(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著の「星の王子さま」から)

ウィーン市には5本の地下鉄(U鉄道)が走っている。読者はU3のフォルクステアター駅で下車して頂きたい。リンク通り側に出ると駅を背に左側にはオーストリア国民議会が見える。少し行けば、昨年3月創設650年を迎えた欧州最古の総合大学ウィーン大学がある。駅を背に右側に行けば、ウィーンの美術史博物館と自然史博物館がある。両博物館の間には、「戦いは他人に任せ、汝は結婚せよ」をモットーに結婚政策を実施し、自身も16人の子供を産んだオーストリアの国母、マリア・テレジア女王(1717~1780年)の像がどしんと立ち、少子化に直面する母国の行方を不安な思いで眺めている。


▲フォルクス庭園のバラ園、防寒用の袋に包まれている(2016年3月17日、ウィーン市で撮影)

当方が推薦する散歩道は駅からリンクを渡り、フォルクス庭園に入るルートだ。フランツ1世が建てたギリシャ神殿風のテセウス神殿がある同園はバラ園として有名だ。200種類を超える薔薇が華やかな花を咲かせる。

当方は17日、オーストリア内務省の昨年の「犯罪統計」公表記者会見に出かけた時、少し時間があったのでフォルクス庭園を覗いた。庭園のバラ園は今、防寒袋で覆われていた。若い庭園師が働いていたので聞いてみた。

「ねー。この帽子(防寒袋)の中にはバラが隠れているのでしょう」
「そうだ。寒いから帽子を被っているだけだ」
「バラは赤ですか、白ですか」
「いろいろな色のバラだよ。もう少し暖かくなったらまたおいでよ」

当方は童話「星の王子さま」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)の王子さまになった気分で防寒用布で包まれたバラを見た。ひょっとしたら、その中にはバラではなく、象が隠れているのではないか、と考えてみた。

フォルクス庭園の横には英雄広場が広がっている。あのアドルフ・ヒトラーが20万人のウィーン市民の前で凱旋演説をした場所だ。夜遅く英雄広場を通った時、ヒトラーの声と市民の歓迎のざわめきが聞こえたように感じたことがあった。

英雄広場にはハプスブルク王朝のホーフブルク宮殿が見える。その直ぐ傍には連邦首相府と大統領府がある。2,3人の警察官が退屈そうにおしゃべりしながら警備している。連邦首相府の裏側には記者会見で頻繁に通う内務省と外務省の建物がある。

地下鉄下車して徒歩で5分も歩けばオーストリアの主要官庁をほぼカバーできる。欧州を一時は席巻したハプスブルク時代の歴史が刻み込まれたエリアだ。少々生臭い思いも出てくるが、歴史は常にクリーンというわけにはいかないものだ。

ウィーン市で不動産の価格が最も高いエリア、コールマルクトに入る。英サッカーのプレミアリーグの名門チェルシーFCのオーナー、ロシア富豪ロマン・アブラモビッチ氏はコールマルクト通りの不動産を購入している。同通りには、王宮専属洋菓子メーカーのカフェー・デーメルがある。ザッハートルテ(一種のチョコレート・ケーキ)の知的所有権でザッハー家と争ってきた歴史がある。なお、デーメルの初代オーナーは保険詐欺に絡んだ殺人事件で逮捕されている。

コールマルクトからグラーベン通りに入ると、カトリック教国オーストリアの精神的シンボル、シュテファン大聖堂が見える。同国教会最高指導者グロア枢機卿(故人)の未成年者性的虐待事件の発覚が国民に大ショックを与えたことを思い出す。

シュテファン大聖堂までくると、観光客と合流する。イタリア人のにぎやかな声が至る所で聞こえる。当方の15分余りの散歩は終わりを迎える(当方はU1に乗車してドナウ川沿いにある国連へ向かう)。

フォルクステアター駅からフォルクス庭園、英雄広場からコールマルクトを抜けてグラ―ベン通りに入り、シュテファン大聖堂までのルートは当方が久しく好んできた散歩道だ。音楽の都ウィーンを尋ねられたなら、一度この散歩道に足を踏み入れてほしい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年3月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。