「日本死ね」は、トランプ現象の始まりか?

北村 隆司

▲トランプと同じ髪形の猫(引用:Donald Purrump (@trumpyourcat) • Instagram photos and videos)

気に入らない女性を『太った豚』『犬』『グズ』と侮蔑し「メキシコは、麻薬や犯罪人を送り込んでくる。彼らは強姦魔だ」「不法移民は全員強制退去させよ」「中国もメキシコも日本もアメリカから金と職を奪っている」「イスラム過激派は野蛮人だ、核兵器を使え」「拷問も必要だ」等と、聞くのも不快な下品な言葉と嘘を何とも思わないトランプ候補の人気は一向に衰えず、下手をすると米国大統領に就任しかねない勢いだ。

米国のこの情勢に、欧州諸国のマスコミや国民は「米国が金持ち野蛮国」への道を転げ落ち出したと眉をひそめている。

これは、多くの日本人の気持ちにも共通しているのではなかろうか?

米国の堕落の原因の一つは、粗野な言葉や暴言を取り上げれば視聴率が上がる事を知ったマスコミが、トランプの暴言を引き出す様な質問を繰り返し、結果として彼の露出度を競争候補の10倍以上に上げて彼の様なモンスターを作り上げてしまった事にある。

日本でも「保育園落ちた日本死ね!!!」と言う粗暴な言葉を羅列したブログがマスコミに取り上げられ、政府まで動かす大きな話題となったが、これは日本に「トランプ化」の到来を思わせる現象である。

これに対し石井孝明さんが“「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログをほめるな”と言う記事をアゴラに寄稿し「感情的な文章を称える愚行」を諌め「感情的な言葉の羅列で、どこに共感すればいいのだろう。そして何も学ぶものがない。」と的確な指摘をされたが、残念ながら石井さんは少数派で「日本死ね」ブログに便乗した無意味なヨイショ記事やブログが氾濫している。

それでは、何を変えたら保育園待機児童問題は解決できるのか?

2002年10月の第3回構造改革特区に関する会議での「幼稚園と保育所に関する行政を一元化して、施設設備基準、資格制度,配置基準、3歳の壁を作った入所要件等を統一化し、待機児童の数を抜本的に減らすべし」と言う提案と池田先生の推薦するバウチャー制度を組み合わせれば、殆んど解決される筈である。

然し、厚労省の利権を脅かすこの制度改革は安倍首相が本気で「岩盤規制」を壊す心算でなければ不可能で,この点では安倍首相は落第坊主であり、「日本死ね」ブログが出るまでは厚労省に丸め込まれて来たマスコミは共犯者である。

例えこの提案とバウチャーを合算して実行する場合でも、「教育バウチャー」の一部実施の実績を持つ橋下徹前大阪市長の主張する「地方自治の実現」が前提条件である。

又、「日本死ね」ブログでも取り上げられた「女性活躍推進法」は、問題解決責任を民間に押し付けた「休める職場」優先政策で、本来なら政府の責任で実行される「働ける環境の整備」を優先させるべきであった。

それにしてもトランプ同様、非難ばかりで解決策の無い「日本死ね!!」ブログが、何故これほどの支持を集めたのか?

一つには、既成政治に対する不信感を下品だが政治的な野心もなしに判り易い言葉で直接国民に訴えた事が共感を呼んだのであろう。

もう一つは、子供の頃から自分の言葉で自由に物を書くと、文科省の指導に従った先生から型にはまった文章に直され、自由な表現が出来ない記憶を持つ日本人が、このブログに溜飲を下げた事も考えられる。

文明国であった筈の米国がこれほど早く堕落してしまったのか? 日本の実態を見ると他人事とは思えない。

1835年にアメリカ各地を10ヶ月に渡り視察した26歳のフランス青年トクヴィルは、近代社会の最先端を突き進んでいる米国は新時代の先駆的役割を担うことになるであろうと考えたと同時に、その先には経済と世論の腐敗した混乱の時代が待ち受けていると予言した。

トグウィルは又、アメリカ的民主主義とは「多数派の世論」による独裁政治だと言い、新聞、マスコミなどのメディアに多数派世論の「権力が集中」する可能性を憂いてもいた。

彼は、大衆世論の腐敗・混乱に伴う社会の混乱を解決するには高学歴な学識者などいわゆる「知識人」の存在を重視したが、重要で複雑な社会の諸問題に正面から取り組むか、自分の優れた才能を発揮して自分の蓄財に励むかの二つの選択が残される米国の知識階層の圧倒的大多数は後者の道を選択すると考え、将来のアメリカは「どの文明国よりも自主性に欠け、真の意味での自由な討論に劣る国となる」であろうとも予測した。

残る期待は、米国伝統の自浄能力が何時発揮できるか?であるが、この現象が自浄能力に欠ける日本に伝染すると日本の将来は暗い。

東日本大震災の様な想像を絶する災害の最中でも、暴動や取り付け騒ぎが一切起きない世界で唯一の国である日本は、「品格本」が流行りに流行ったかと思うと「日本死ね」のブログがもてはやされるなど、ぶれの大きい誠に不思議な国でもある。

品格ブームが去った日本では、トランプ現象の広がりで下品ブームが到来する事を懸念して止まない。

慧眼を持ち併せない筆者から見る日本の現状には、色々傾いて見えるものが多い。これが、慧眼ならぬ「傾眼」のなす業だと思いたい。