ゲンシャー元独外相と「宗教の自由」

ドイツのハンス=ディートリヒ・ゲンシャー元外相が先月31日、亡くなった。89歳だった。


▲ハンス=ディ―トリヒ・ゲンシャー氏(ドイツ連邦議会のHPから)

同氏の政治家としての最大の功績は分断されていた東西両ドイツの再統合をコール首相(当時)と共に実現したことだが、チェコスロバキア(当時)共産党政権下で宗教の弾圧が激しかった時代、ゲンシャー元外相は西側政治家としてチェコの首都プラハを初めて訪れ、ローマ・カトリック教会最高指導者フランティセク・トマーシェク枢機卿(1899~1992年 )と会談し、「宗教の自由」のために戦っていたチェコ国民を鼓舞したことも忘れられない。東西両ドイツの再統合の功績の陰に隠れてしまったが、激しい宗教弾圧下にあったチェコの宗教指導者と会談することで、ゲンシャー元外相は「宗教の自由」の重要性を東欧の共産政権にアピールしたわけだ。


▲会見後、トマーシェック枢機卿と記念撮影(1988年8月、プラハの枢機卿公邸で)

チェコのローマ・カトリック教会司教会議議長ドミニク・デュカ枢機卿は、「ゲンシャー氏はチェコの宗教の自由を取り戻してくれた政治家だった」とその功績を称えている。

在プラハの独大使館を訪ねた同枢機卿は、「ゲンシャー氏は忘れることができない素晴らしい政治家だった。同氏はわが国の宗教界に大きな足跡を残していった」と弔問記帳している。オーストリアのカトリック系通信社「カトプレス」が6日報じた。

チェコ共産党が激しい宗教弾圧を展開していた時、ゲンシャー氏は西側政治家としてプラハを訪れ、当時孤立化していたトマーシェク枢機卿と会談した。そのトマーシェク枢機卿は当時、カトリック教会最高指導者だけではなく、共産政権の“鉄のカーテン”下で苦悩していたチェコ国民の良心のシンボルだった。ゲンシャー氏がトマーシェク枢機卿と会談したことが報じられると、他の欧州の政治家たちもプラハを訪れ出したほどだ。

当方は1988年8月、プラハ城近くにある公邸でトマ―シェク枢機卿と初めて会見した時、枢機卿は、「信教の自由を求める声は、人間の本性に起因するものだ」と述べ、民主化、宗教の自由を力強く訴えた。89年に入って再会した時、枢機卿の体力は急速に衰えていた。同枢機卿はその3年後、チェコの民主化を目撃し、亡くなっている。

ゲンシャー・トマーシェク会談はチェコスロバキアの民主改革(通称ビロード革命)の夜明けを告げるものであり、旧東欧諸国が共産政権から解放される歴史的な出会いでもあった。チェコ国民はゲンシャー氏から大きな恵みを受けたわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年4月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。