前略ALS様、私の残りの人生、あなたには渡せません

恩田 聖敬

4月も半ばになり、皆様、新生活に慣れ始めたところかなと思います。

私は来月には38歳になります。もう立派な「オジサン」です。

40歳になる頃には、会社の看板でなく自分の看板で勝負できるように」

そんな風に言われたことを思い出します。

よく、成功者は10年後を見据えて生きていると言います。

それでいくと、私の未来予想図は成功者には程遠く、常に上書きされています。

想定外ばかり、文字通り、紆余曲折を経てきました。

一貫しているのは、常に自分の意思(ワガママ)を通したことです。

想定外なりに、自分で道を選び、決して人まかせにはしませんでした。

以下、一番の想定外です。

まさか、30代で社長として岐阜に帰れるとは、

まさか、かつてのサッカー日本代表らと一緒に仕事するとは、

まさか、こんなにテレビや新聞に出ることになるとは、

FC岐阜』

関わりの中で、人生最大級の喜怒哀楽を味わった、

そんな2年間でした

そして、、

『ずっと健康診断A評価の私が、よもやALSになるとは』

10年前、全く想像してなかった世界が、今、目の前に広がっています。

でも、10年前と変わらない思いもあります。

書き出してみます。

どんなに仕事が忙しくても、家族の幸せが一番でした

妻に人生の最後に、「一緒になって良かった」と

言わせる自信がありました

やりたいことを仕事にして、生きてこられました

多くの方々に「恩田聖敬」を認めていただきました

心から信じられる人との出会いがありました

ALSになったことで、私の生き方の核を変えたくない。』

ただ、それだけです。

そんな思いで、今日もブログを書いています。

『変わるためのチャレンジ魂』と『変わらない自分らしさ』と共に。

恩田聖敬

ホームページ開設しました!!

https://ondasatoshi.com


この記事は、岐阜フットボールクラブ前社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年4月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。