「人工知能で技術的失業をした人びとの第二の人生は? 経済学者からのヒント」
http://ja.catalyst.red/articles/ai-tomohiro-inoue
井上智洋さんのインタビュー。AIでの失業を恐れる声が高まっているが、もしそうなったとしても、富を求める人と余暇にひたる人に二極化するとともに、「ベーシックインカム」が有効な選択肢となる。ぼくもこれに近い感覚です。
仮に半数以上の人たちが技術的失業することになった場合、就業するほうが特殊な人になりますが、その社会の労働観はきっとさまがわりしますよね。そして仕事しない人は何かポジティブな位置づけを獲得しますよね。
–その受け皿の一つとして「超人スポーツ」をぼくらは作っているんですが。
仕事にしろ何にしろ、これまで以上に、自分が何をしたいかが強く問われるようになるでしょう。
問題は、それでみんなが食っていく仕組み。多くの「仕事」はAIとロボットがやってくれて富も生んでくれるんだから、それじゃマズくなるとすれば、社会全体の分配政策が重要性を持ちます。ベーシックインカムが注目されるのも、この流れと連動しているんでしょう。日本はアメリカよりうまく対応できる気がします。
ところで、AIとビッグデータとウェアラブルで自動翻訳がぼくの英語よりうまくなるなら、ぼくは1年分の小遣いを投じて買い、機械の精度を上げることに専念します。今の子どもの世代以降はもう英語を学ばなくてよくなるんじゃないですか。
そして、自動翻訳の精度をうんと上げて、汚名を返上し、日本はどの国より上手で上品な英語が話せるようになりましょう。
すると英会話学校や語学教師が大量失業します。大丈夫です。そんな難しい仕事をしてきた人には次の仕事がすぐ見つかります。機械向けに正しい日本語をしゃべる仕事も生まれます。AIをてなづけてください。
AIに至らずとも、デジタルはぼくを変えてきました。
ここんとこ、読む書籍の数が年1割ほどのペースで減っています。電子書籍を含めても。しかし、読む総量は格段に増加しています。読む時間も。デジタルで。みなさんはどうですか。
ネットでの細切れ情報を大量に消費するようになる一方、数百ページにわたる一人の著述への欲求は押し出されてしまっています。たくさん情報を吸収して反射的に処理していく能力は高まっていますが、系統だった論理で考える力は落ちた気がします。
書く分量も増えました。そのスタイルも一変しました。このところぼくは、twitterを起点に文章を組み立てています。日々のメモをtweetし、facebookに転載。その後まとめてブログ化し、それがネットメディアや紙メディアに転載されていく。
書き物へのエネルギー消費量はかつてと変わらないものの、twitter起点で多面展開しているせいか、こもって書くことがほぼなくなる一方で、日々散発のメモまとめが必須となっています。
100字ぐらいに区切って書くクセも定着しました。それは文体のみならず、自分の思考のパターンにも影響を与えているはず。発信の速度も分量も増しましたが、深度はどうでしょう。
ただ、ハッキリと申し上げられるのは、デジタル/ネット生活への移行で、ぼくの情報消費、創造、発信は、量・速度ともに格段に高まり、仮に質的な変容・低下を伴ったとしても、トータルでの効用は超プラスだということです。なんとかITを手なづけてきた、と思います。
大人になって読み書きのスタイルが移行するのは自己責任ですが、子どもからデジタルスタイルに入る場合、つまりぼくらより大量に、短文を読み・書く諸君の場合、創造性も豊かになるのでしょうか。そう願うのですが。
AIはそこに登場します。ぼくらがITをそうしてきたように、諸君はITに加え、AIも手なづけて、うんと賢くなって、うんと楽しく過ごしてくださることを併せて願う次第です。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。