舛添「押込」の構造

池田 信夫

今や世界のあらゆるニュースを押しのけ、ヘッドラインを独占している舛添知事だが、きょう不信任案が出て、あすの本会議で可決される見通しだ。自民党の辞職勧告を受け入れなかったということは、解散して再出馬するつもりだろう。

正直いって私はこの問題にほとんど興味がないが、駒崎さんもいうように、彼が何も仕事をしなかったことには怒っている。私の住む世田谷区は、待機児童が47%で日本一だ。これはほとんど東京ローカルの問題で、都知事の責任は重い。

しかしここに至る経緯をみると、2014年から今までほとんど仕事をしないで「都市間外交」と称して遊び歩いていたのに、ほとんど批判がなかったことが不思議だ。前任の猪瀬知事は、副知事時代に都営地下鉄の民営化など仕事をしたが、都庁職員(特に労働組合)の評判は、舛添知事のほうがはるかによかった。

それは彼が何も仕事をしなかったにもかかわらずではなく、仕事をしなかったから評判がよかったのだ。江戸時代から、主君を座敷牢に閉じ込める主君押込の対象になったのはバカ殿ではなく、藩の財政改革などをしようとして家臣に妨害され、遊興にふけったというケースが多い。

幕末の長州藩主だった毛利敬親は、重臣からの奏上に対してすべて「そうせい」と答えたため「そうせい候」と呼ばれたが、これは当時の長州で、幕府と対決しようとする藩士と幕府を守ろうとする藩士が対立してテロが起こっていたため、中立を守ったといわれている。

このように君臨すれども統治しないのが「殿様」の作法であり、舛添氏はその伝統を守っていたともいえる。ところが韓国訪問であまりの大名旅行に批判が出たのをきっかけに、「押込」の流れが止まらなくなった。本来は家老(知事部局)を説得して味方につけなければいけないのだが、記者会見で「スイートルームは必要だ」などと開き直ったため、家老も彼を守れなくなった。

おもしろいのは、幕府(政府)の対応だ。由比正雪のように幕府に反乱を起こした者は死罪などの厳罰に処したのに、各藩のお家騒動には寛大で、押し込めた家臣の言い分も聞いて第三者として判断した。家臣からの内部告発のほうが具体的で情報量も多かったので、押込を幕府が追認して跡継ぎを決めたケースが多い。

これは江戸時代から日本の政治が、いわば殿様機関説になっていたことを示す。行政を取り仕切るのは現場の家臣なので、殿様が介入してはならない。大事なのは「お家」のコンセンサスであって殿様は記号なので、志村けんのように遊びほうけて何もしない殿様が名君なのだ。

この点で、今回の舛添氏の対応には一貫性がなかった。「そうせい候」に徹するなら、最初から低姿勢で謝り続けるべきだった。日本人は「素直に謝る人」は許すが「言い訳」をきらう。これが「国際政治学者」の盲点だったかもしれない。

いずれにせよ、こんな下らない問題で都知事が辞めて選挙をするのは、都民としては迷惑だ。今度はバカ殿ではなく、ちゃんと仕事をする知事を選びたいものだ。