FC岐阜とALSに出会う前の人生について

この写真は、私のブログを読んでいただいたFC岐阜のサポーターからもらったカメです。訪問看護師さんや家族に可愛いと大人気です(笑)「かめこ」と命名されて、車椅子に乗っています。メディアの方にも聞かれましたが、理由もなくかめをもらったわけではありません。新入社員向けの話としてブログに書き、昨年放送されたNHKの番組の中でも、取り上げていただいた「うさぎとかめ」の話は、結構な反響をいただきました。以下、ブログのバックナンバーですが、是非お読みください。

私に衝撃を与えた小噺~うさぎとかめ~
http://blog.livedoor.jp/onda0510/archives/1063349.html

こんな話も含めて、ビジネスパーソンに伝えたいことがたくさんあります。是非、企業研修などご用命下さい。というのも、FC岐阜とALSという2つのキーワードによってみなさまに知っていただいた私ですが、当然それ以前の人生が有りました。私なりに必死に生きてきたからこそ、FC岐阜の社長という天職に出会え、ALSとなっても前を向いていられるのだと思います。

そこで、以前別紙向けに書いた、FC岐阜の社長として岐阜県に戻る前についての話を、今後何回かにわけ、週1程度不定期で紹介します。お付き合いいただければと思います。

それでは、第一回です。

話を2002年まで戻します。当時の私の肩書きは、「京都大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻修士1回生」です。ちなみに修士論文のテーマは、確か「極希薄空間における2次元無限平板の振動により生じる非線形音響流の極致的挙動について」です。もはや、早口言葉にもなりません。1学年20人しかいない、三度の飯より研究が好きな集団に間違って入ってしまった私は、住む世界が違うことをすぐに悟りました。パソコンを10台以上使い、何千行ものプログラムを組み、1か月かけて数値シュミレーションをして、結果を分析する毎日は、私にとってなかなかの苦行でした。せっかく京都大学に入ったのだから、研究もしてみようと、大学院まで進んだものの、そこに自分の居場所がないと気づいた私は、今後の人生について考えざるを得ない状況となります。時は就職氷河期、京都大学の学校推薦ならば苦労なく1部上場企業に入れましたが、研究職は自分の肌には合わない。どうしようかと悶々と日々を過ごしていた私に、今後の人生の方向性を決定付ける出来事が起きるのです。

続きはまた、お楽しみに。

株式会社まんまる笑店
代表取締役社長 恩田聖敬

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この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2016年7月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。