英EU離脱、エネルギー政策への影響は?(下)

GEPR

有馬純

東京大学公共政策大学院教授

前JETRO(日本貿易振興機構)ロンドン事務所長

元経産省大臣官房審議官(地球環境問題担当)

 

)より続く

離脱を伝える英国の新聞

英国の「国のかたち」の変化?

第四の問題はBrexitが引き金となって英国という「国のかたち」が変わってしまう可能性も排除できないことだ。今回の国民投票の結果を受けて早速スコットランド国民党のスタージョン党首はスコットランドがEUに残留できるよう、再度、スコットランド独立の住民投票を行うとの姿勢を打ち出している。北アイルランドでは南北アイルランドの独立をかかげる声も出てきている。グレート・ブリテンがリトル・イングランドになってしまったら、英国全体を前提に考えてきたエネルギー環境政策や温暖化目標自体が再検討を強いられることになるだろう。例えば豊富な洋上風力ポテンシャルを有し、2020年までに全発電電力量を再生可能エネルギーでとの目標を掲げるスコットランドが英国から離脱することになれば、残ったイングランドは2030年57%減どころではなくなる。

以上、述べてきたようにEU全体の40%削減目標を大幅に上回る57%削減目標を自ら掲げながら、Brexitはその達成見通しを非常に不透明なものにしている。

EUの40%目標への影響

次にEUの温暖化対策への影響はどうなるかを考えてみよう。2015年にEUは「2030年までに90年比で少なくとも40%削減」という目標に合意し、条約事務局に提出をしたが、この目標を合意するに当たっては、ポーランドをはじめとする東欧諸国の強い反対を克服せねばならなかった。その結果、東欧諸国のように一人当たりGDPがEU平均の60%を下回っている国々には非ETSセクターの国別割り当ての際に特段の配慮をすること、換言すれば英国、ドイツ、フランス、北欧等の西欧諸国がその分の負担を引き受けることとの妥協が図られたのである。

英国がEUから離脱すれば、こうした負担分担にも影響を与えることになる。2030年までに90年比57%減を掲げる英国を除いた27か国で90年比40%を達成しようとすれば、残された国々の負担はそれだけ増大することになる。

ただしパリ協定第4条第16項には締約国が共同で目標を達成することを認める規定がある。「英国と英国離脱後のEUとが共同で40%目標を達成することに合意する」という形にすれば、負担分担の見直しという混乱は避けられる。英国はもともと40%目標を決める際、50%減というより野心的な目標を主張していた。このため、自らの離脱によるEUの温暖化目標への影響を最小限にしようとする可能性は高い。ただこの場合であっても英国の抜けたあとのEUの目標は40%からの見直しが必要となる。第16項では合意に参加した「各締約国」(すなわち英国と英国離脱後のEU)の排出削減目標を事務局に提出することが求められているからである。

パリ協定発効への影響

英国のEU離脱がパリ協定発効に与える影響は思ったほど大きくないと思われる。もともとEUのパリ協定批准は域内の国別割り当ての合意形成に時間を要するため、2017年にずれ込むと見込まれていた。環境関係者の中には、英国はEUから離脱することで域内の合意形成を待たずに単独で批准できるのだから、キャメロン政権の間に批准をすべきだとの声がある。

米国、中国、カナダ、メキシコ などは2016年中の批准を誓約しており、Climate Analytics は2016年末までに世界の排出量の53%を占める50か国の批准が見込まれると見通している。英国の排出量は世界の1%程度であるが、英国が批准すればパリ協定の発効という点では、1%分だけでも前に進むとの見方もできる。他方、離脱手続きが終わるまでは英国はEUの一員なのであり、単独で批准できるのかという論点もある。いずれにせよ、Brexitによってパリ協定の発効が座礁するとは考えにくい。

EU域内での今後の温暖化議論への影響

EUの目標やパリ協定への影響は何らかの形でマネージが可能であると考えられるが、Brexitが今後のEU域内のエネルギー温暖化対策に関する議論に与える影響は決して小さくないだろう。

上述のようにEU域内で野心的な目標を主張する英国、ドイツ、フランス、北欧等の西欧諸国と石炭依存が高く野心的な目標に消極的なポーランド等の東欧諸国はしばしば対立関係にあった。こうした中で、英国が離脱することはEU域内での「野心派」の力が相対的に弱まり、ポーランド等の発言力が相対的に強まることを意味する。例えばEUが今後、パリ協定に基づき、40%目標を引き上げようとしても、これまで以上に合意形成が困難になる可能性が高い。

また英国はEU域内においてEU-ETS推進のチャンピオン的存在であった。EUの気候変動・エネルギーパッケージを議論する際、英国は「排出量目標一本があれば十分であり、2020年時のような再生可能エネルギー目標や省エネルギー目標は不要」と主張し、再エネ目標や省エネ目標も必要というドイツ、フランス等と対立した。余剰クレジットの蓄積により機能不全を起こしているEU-ETSの立て直しのために案出された「市場安定化リザーブ(MSR)」を欧州委員会提案の2021年導入ではなく、2017年から前倒しで導入すべきとの議論を主導したのも英国である。

市場原理主義的な英国の離脱は、補助金・規制を重視するドイツ、フランスの相対的発言権を高めることになり、EU内での議論のベクトルにも影響を与える可能性がある。もちろん、英国はノルウェーと同じようにEU-ETSに参加しようとするはずだ。しかしEU加盟国でなくなれば、MSR導入後のEU-ETSのパフォーマンス評価、更なる見直しといった議論には参加できなくなり、EU-ETS強化のための推進力が相対的に弱体化することは避けられないだろう。

温暖化アジェンダのプライオリティ低下の可能性

さらに言えば、Brexitによって英国、EU双方における温暖化対策のプライオリティが少なくとも当面は低下せざるを得ないと思われる。英国にとってはBrexitが共通市場へのアクセスや対英投資にマイナスの影響を与えないような形で欧州委員会と交渉を行うことが当面最大の課題となる。その際、今回のEU離脱の最大の誘因となった移民等の「人の移動の自由」をどうするのかが争点となろう。

そうした中で温暖化対策のプライオリティは政府、国民いずれの間でも低下することは不可避だと思われる。もちろん、誰が次の首相になるかも大きな要素だ。候補として名乗りをあげている中で、離脱派のマイケル・ゴーヴ司法大臣、リアム・フォックス防衛大臣、残留派のテリーザ・メイ内務大臣いずれも温暖化問題に熱心だという話は聞かない。マイケル・ゴーヴは教育大臣時代に気候変動を教育カリキュラムから削除しようとしたとの理由で環境NGOから批判されている。Climate Change Newsは「誰が首相になってもキャメロン首相が2006年に行ったように北極でハスキー犬を抱きしめるようなことはしないだろう」としている。

BrexitはEUの政治・経済全体にも様々なマイナスの影響をもたらす恐れが高い。英国の国民投票の結果に意を強くしている反EU政党は欧州各国に存在し、第2、第3の英国が出てくる可能性は排除できない。EUにとっては英国との離脱交渉を行いつつ、残された27か国の政治的・経済的結束強化と更なる離脱国出現の防止に腐心せねばならない。このような状況の下ではブラッセルの権限が強い温暖化対策を強力に進めにくくなるであろう。一言でいえば、英国にとってもEUにとっても「温暖化対策どころではない」状況が現出しつつあるのである。

以上が国民投票後1週間時点での筆者の見立てである。もとより、英国の次の首相が誰になるか、離脱交渉がいつ、どのように進められるのか等、不確定要素はあまりにも多い。はなはだ役所的な表現だが、「今後の動向を注視してまいりたい」ということであろう。