イラン核協議の合意「1年後」

国連安保常任理事国(米英仏露中)にドイツを加えた6カ国とイランとの間で続けられてきたイラン核協議は昨年7月14日、最終文書の「包括的共同行動計画」で合意し、2002年以来13年間に及ぶ核協議はイランの核計画の全容解明に向けて大きく前進した。


▲合意した「行動計画表」を示すIAEAの天野之弥事務局長とイランのサレヒ原子力庁長官(2015年7月14日、IAEA提供)

最終文書は、イランに核兵器製造の道を閉ざすことを至上目標とした欧米側と、国際社会の制裁解除を最大課題と位置付けてきたイラン側の双方の妥協の成果だ。イランのザリフ外相は当時、ウィーン国連内の共同記者会見で、「合意内容はウイン・ウインだ。完全ではないが、新しい希望の道を開く歴史的な瞬間」と評していた。あれから1年が過ぎた。

米英仏独露中の6カ国は今年1月16日、イラン側が核合意の義務を履行したことを受け、対イラン制裁の解除を決定した。国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長は同日、「核合意に基づく措置の履行が完了した」と発表した。具体的には、イランは設置済み遠心分離器約1万9000基の約3分の2を撤去し、低濃縮ウラン(LEU)約10トンの大半をロシアに搬出した。

国際社会の対イラン制裁解除が伝わると、停滞してきた国民経済の復興を期待するイラン国民の声が高まったのは当然だ。一方、制裁解除前からドイツなど欧米諸国の指導者や企業代表のテヘラン詣でが始まった。その一方,ロウハーニー大統領も欧州諸国を訪問するなど外交を活発化していった。

イランは核合意後、外貨獲得源の原油生産は今年4月段階で日量350万バレルを越え、制裁前の規模に近づいてきた。インフレ率も40%から10%と低下し、物価が安定化する一方、失業率の低下はまだ見られない。国民生活の急速な改善を期待していた国民の間には制裁解除直前のような高揚感はもはやない。

核開発関連の対イラン制裁は解除されたが、対イラン制裁はそれだけではない。例えば、米国はイランの人権問題やテロ組織支援、ミサイル開発関連などに対して制裁を依然堅持している。だから、欧米企業はイラン企業と商談を安心して進めることができないのが現状だ。制裁違反が判明すれば、米国当局から莫大な賠償金を請求されるからだ。

それだけではない。米共和党大統領候補者のトランプ氏は、「自分が大統領になれば、イランとの核合意などは完全に破棄する」と豪語している。イランとの核合意に難色を示しているのは共和党内ではトランプ氏だけではない。ちなみに、イラン政府は先月、米大手航空機メーカーのボーイング社との間で100機を購入することで合意したが、共和党が支配権を握る米下院で先日、ボーイング機の対イラン輸出を禁止する法案が採決された、といった具合だ。

イラン指導部でも改革派のロウハーニー大統領の路線に、保守派から強い抵抗が見られる。外交分野の最高意思決定はロウハーニー大統領ではなく、最高指導者はハーメネイ―師だ。同師はイラン社会の西欧化を恐れ、保守派との連携を深めてきている。
例えば、ロウハーニー大統領のオーストリア訪問(3月30日から2日間)が、土壇場で延期されたことがあった。表向きの理由は、安全問題というが、テヘラン消息筋は「イラン最高上部(ハーメネイー師)から訪問中止の命令が下された」と証言している。

ロウハーニー大統領は来年6月の選挙で再選できるか、マフムード・アフマディネジャド大統領(保守派)がカムバックするかなど、イランを取り巻く内外の政情はここにきて一段と不透明さ増してきているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。