FC岐阜とALSと出会う前の人生②昭和の田舎者

今回は第二回、FC岐阜とALSに出会う前の昔話です。

私がお会いしたことのない方が、私に対して持ってらっしゃるイメージと違うとよく言われますが、私は最新のスマホとかに全く興味がないアナログ人間です。今、iPadを使っているのも必要に迫られた結果です。そんな「昭和の田舎者」のお話です。

時は2002年9月、将来について悩んでいた私を、当時の彼女(現在の妻)がディズニー・シーの1周年も含めて、東京に旅行に行きたいと誘いました。私は一瞬尻込みしました。というのも、私は人ごみが大の苦手であり、ディズニーと言えば、中学の修学旅行の際にディズニーランドで、スペースマウンテンという絶叫系アトラクションに乗り、高所恐怖症な私は、腰を抜かしてしまったという、悲しい思い出しかありませんでした。また、貧乏大学院生にはなかなかの出費です。そこで、私がどうしても行きたかった、忠臣蔵の舞台である高輪泉岳寺を行程に加えてもらい、京都から旅立ちました。

東京に着いて、いきなり人ごみの洗礼を受けます。都庁を見に行くために、朝の新宿駅に行きましたが、列車のドア1つに対して1人の駅員さんがいて、乗客をモノのように押し込むのです。リアルな通勤ラッシュに遭遇し、この時、東京に住むのは絶対無理と思いました。しかしそんな私が、10年後には虎ノ門のオフィスで働くことになるのですから、世の中何が起こるかわからないものです。

泉岳寺で忠臣蔵の名シーンを思い出しながら物思いにふけ、かと言えば、お台場でおのぼりさん丸出しでフジテレビを見学したり、ホテルのごはんが美味しかったり、何だかんだで楽しみながら旅行を進めていきます。そう言えば、私が社長を退任した12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日です。赤穂浪士ほど格好良い最後ではなかったですが、私らしいと勝手に気に入っています。
そんなこんなで、後の日程はディズニーを残すのみとなりました。その時は、翌日が人生の転機の日になるとは、思っても見なかったです。
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ディズニーの話は、いろんなところで書いてますが、本当に衝撃の1日でした。続きはまた来週。
多くの方に読んでもらった、オススメバックナンバーを紹介して終わります。
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