ロバート・マブローが死んだ。享年81歳。
エジプト生まれのレバノン人にして、Oxford Institute of Energy Studies(OIEC)の創設者。
FTが今朝 ”Robert Mabro, energy expert, 1934-2016” と題して報じている。”Trusted sage who sought to smoothe oil price volatility” とのサブタイトルが付いている。
彼の人となり、あるいは50年以上にわたるエネルギー業界における功績についてはFT原文を読んでいただきたいが、ひとつだけ記事の中にあるエピソードを紹介しておこう。
1997年7月のタイ通貨危機に端を発したアジア経済危機は、翌1998年にかけて原油価格の暴落を引き起こした。景気が後退し、石油需要が減少することが予想されていたにもかかわらず、その年12月初めのジャカルタにおけるOPEC総会で無謀にも増産決定をしてしまったからだ。だが翌年、メキシコなどの非OPECも巻き込んで大幅な減産で対応した。その結果、原油価格は比較的短期間で回復した。
FT記事によると、この動きの背後に、「信頼の厚いアドバイザー」であるマブローの「仲介者」としての働きがあったそうだ。
一般に知られることのなかったこの秘密交渉に参加した経験を持つ、サウジの副エネルギー大臣アブドラアジーズ・ビン・サルマン王子は「これらの秘密会合でわれわれの利害を取りまとめたのがマブローだった」「現実的で、深い思考能力、実現可能なことを見抜く洞察力」を持っていた、とコメントしている。
筆者は、マブロー(OIEC)が主催するOxford Energy Seminar(OES)に参加した経験がある。ニューヨーク勤務中の1994年のことである。
OESとは毎年8月、産油国および消費国、あるいは国際機関の役人、ビジネスマン、研究者などが数十名参加し、2週間泊まり込みで業界トップの経営者、産油国大臣などから講義を受け、参加者間で情報・意見を交換し、さらには数度グループ討議とその発表を行い、朝食、昼食、夕食を毎回異なる参加者と隣り合わせに座らされて摂る、当然おしゃべりをする、というものである。まさに非公式な産消対話の場であった。
この時「1年後の原油価格はどうなるか」というグループ討議で、サウジ中央銀行副頭取と一緒になった。たまたま同じグループの中でオイルトレードの実務経験者が筆者のみだったため、副頭取からの矢のような質問を一手に引き受けて回答した。副頭取は、オイルトレードの世界がどうなっているのか、真摯に知りたいと思っていたようだった。
後で別の日本からの参加者から聞いた話では、サウジ中央銀行の副頭取ともなると、日本の一流会社の社長でも面会できず、せいぜい経団連会長、通常は日銀総裁や大蔵大臣等しか会えないレベルの人なのだそうだ。
一緒に参加していた副頭取の秘書(講義などそっちのけで、副頭取の一挙手一投足に注目していた)によると、副頭取は最近リヤドに家を新築した、日本の有名な建築家である丹下健三の設計で、部屋数は100を下らない、とのことだった。
このように、筆者からみるととんでもないレベルの人がOESには参加し、一介の商社マンである筆者と真剣に議論していたのだ。
ポジショントークに陥らず、客観的にエネルギー事情を分析、研究し、発表する機関としてのOIECの役割は重要だ。OESは今でも続いているのだろうか。
OIECを創設し、産油国、消費国両方から厚い信頼を集め、必要に応じ「仲介者」として機能しうるマブローのような人物が日本にいないことは、はなはだ残念なことではないだろうか。
合掌。
編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2016年8月8日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。