フェルプスを発奮させたのは何か

長谷川 良

リオデジャネイロ夏季五輪第5日の9日、競泳男子200mバタフライ決勝でマイケル・フェルプス(米国)が1分53秒36で通算20個目の金メダルを獲得した。予選を見ていた時、「今回は難しいかな」と思ったが、決勝ではやはりこの人は強かった。その直後、行われた男子800mリレーでも米国チームの金メダル獲得に貢献し、通算21回の金メダリストとなった。


▲マイケル・フェルプスの伝記「Beneath the Surface」(Sports Publishing L.L.C発行)

フェルプスは15歳の時に初参加した2000年シドニー五輪大会から今回のリオ大会までに金21個、銀2個、銅2個の計25個のメダルを取り、これまで通算39回の世界記録を樹立している。彼の記録を破る五輪選手は今後現れてこないだろう。

20個目の金メダルの受賞式を終えると、会場で応援していた夫人と今年5月に生まれた息子、母親のところに行って喜びあう姿をみて、「フェルプスは2012年のロンドン大会後の試練を乗り越えたのだな」と強く感じた。

フェルプスは2012年のロンドン五輪で4個の金メダルを新たに取り、合計18個の金メダルを獲得すると、「泳ぐことにもはや喜びを感じなくなった。何か新しいことをしたい」と引退宣言したが、何をしたいのかは分からないまま、パーティー通い、アルコール中毒、カジノ、ポーカーに熱中していった。彼は2014年、アリゾナ州のWickenburgでアルコール中毒者の治療センターに通っている。

フェルプスはリオ五輪参加を決意した後、米国内の予選を通過して5回目の五輪参加チケットを勝ち取ると、「自分にとって最後となる五輪で4個の金メダルを獲得したい。その姿を妻と子供に見せたい」と述べ、リオ大会に臨んだ。10日現在で既に3個の金メダルを取った。あと1個で約束を果たすことになる。

フェルプスが2004年開催のアテネ五輪大会で6個の金メダルを取った時、彼の伝記を買って読んだことがある。伝記の中身は「何を食べたか」「何が大好きか」といった食べ物の話で一杯だったことを思いだす。当時、19歳になったばかりのスイマーの伝記に人生の名言を期待することはできない。ファーストフードが好きで、いつも食べることを考えていたというから、ある意味では典型的な米国の若者だったわけだ。

その一方、フェルプスは小さい時、エネルギー過多(注意欠陥・多動性障害)で落ち着いて座ることもできない子供だった。そのため、母親は学校にいけない息子に勉強を教える一方、溢れるエネルギーの発散手段として、7歳の時から水泳クラブに通わせたという。そして後日、水泳界の天才、フェルプスが誕生したわけだ。フェルプスは9歳の時、母親を捨てた父親と長い間、不通だったが、最近和解している。

フェルプス(31)には尊敬するスイマーがいた。オーストラリアのイアン・ソープ選手(33)だ。五輪大会では5個の金メダルを獲得したスイマーだ。アテネ大会で200mと400mの自由形で金メダルを獲得。一旦、引退を表明した後、ロンドン五輪の参加を目指したが、予選を通過できずに終わった。ソープは2014年、同性愛者であることを表明して世界を驚かせたことがある。

ソープはフェルプスとほぼ同じ世代の天才的なスイマーだ。フェルプスはソープについて聞かれた時、「彼は自分より頭がいい」と述べている。ソープは「水の超人」といわれ、フェリプスは「水の怪物」と呼ばれた。怪物は超人の社交性、外交性に一定の尊敬を払っていた。

フェルプスとソープは水泳界の英雄であることは間違いない。ソープはもう一度スイマーの世界に戻ろうと努力したが、その夢はかなわず、「うつ病とアルコール中毒に悩んでいる」(独週刊誌シュピーゲル7月23日号)という。一方、フェルプスはカムバックの夢を実現し、最後の五輪で既に3個の金メダルを得た。ソープ、フェルプスという2人の天才的スイマーの人生は、五輪の舞台では明暗を分けたが、「五輪後の人生」は これからも続く。

なお、フェルプスは「リオ五輪で獲得した金メダルは息子の首にかけたい」とシュピーゲル誌とのインタビューで答えている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。