日本国憲法はGHQが書いたのか

アメリカのバイデン副大統領が「私たちが日本国憲法を書いた」と発言したことが話題になっている。これはドナルド・トランプの「日本は核武装しろ」という発言への批判として「憲法のおかげで核武装できない」といったのだが、「私たち(アメリカ人)が憲法を書いた」と副大統領が公式に発言したのは初めてだ。

これが事実だとすれば主権侵害だが、日米の建て前では憲法は日本国民が書いたことになっている。マッカーサーも回想録で、1946年1月24日の幣原首相との会談で幣原のほうから「戦争放棄」を言い出したと書いている。

これが「憲法の平和主義は幣原が発案した」と一部の人が主張する根拠だが、五百旗真氏などの最近の研究では否定されている。その後の1月30日の閣議で了承された「松本案」にはそういう条項はないからだ。

2月1日に毎日新聞が「スクープ」した松本案を読んだマッカーサーは、ただちに2月3日に「マッカーサー3原則」を民政局のケーディス次長に示し、戦争放棄はその第2原則として初めて出てきた。これをもとにケーディスは25人のスタッフを動員して草案を正味1週間で書き上げ、13日に日本政府に提示した。それが上の写真のマッカーサー草案だから、憲法を起草したのがGHQであることは明らかだ。

マッカーサーが急いだ背景には、占領統治をめぐる情勢の変化があった。極東委員会のメンバーの一部は天皇制の廃止を求めており、13日に提示される予定の松本案をベースに議論していたらソ連などの強硬論が勢いを得るおそれがあるので、逆にGHQが草案を出したのだ。彼は本国に対して「天皇制を廃止したら日本人は武装蜂起し、治安維持に少なくとも100万の軍隊が必要になる」と警告した。

だがGHQの起草した憲法を(マイナー修正して)承認したのは日本の国会である。それも(共産党を除く)ほぼ全会一致で、日本人は新憲法を歓迎したので、「押しつけた」とはいえない。「自主憲法」ならいいともいえない。松本案は宮沢俊義が書いたといわれるが、基本的に天皇主権の明治憲法を受け継ぐものだった。

第9条については、アメリカ政府が後になって改正を要求したが、吉田茂は日本政府として拒否した。その後も第9条を改正すべきだという政党が両院の2/3を超えたことはないので、これは日本国民の選択である。それによって日本はアメリカの軍事力にただ乗りして高度成長を実現したが、国家主権とプライドを失い、核武装は事実上できなくなった。

その意味でバイデンのいうことは半分正しいが、おそらくトランプのほうがアメリカ人の本音に近いだろう。アメリカが東アジアから撤退するときに備えて、憲法改正の準備は必要だ。いまだに「憲法を守れ」か「自主憲法」かが政治の焦点になっているのは、時代錯誤もはなはだしい。