シモン・ペレス氏の「祈り」

イスラエル前大統領シモン・ペレス氏(93)が13日、脳卒中のため病院に運ばれたというニュースが飛び込んできた。ペレス氏の政治キャリアは長い。大統領(任期2007~14年)に就任する前は外相、首相などの政府要職を務めてきたイスラエルの代表的な政治家だ。


▼イスラエル前大統領シモン・ペレス氏(イスラエル議会の公式サイトから)

当方は一度だけペレス氏に質問したことがある。20年以上昔の話だ。同氏は外相を務めていた時、北朝鮮を訪問し、その帰国途上、ウィーンを訪問した。記者会見はウィーン市内のホテルで行われた。当方はペレス氏に訪朝の目的を聞いてみたいと考え、ホテルに直行した。幸い、質問の機会を得たので、聞いてみた。

ペレス氏は、「君、イスラエルは豊かな国でないよ。わが国が北朝鮮を経済的に支援するといったことはできないよ」と笑いながら答えた。イスラエル外相の訪朝は北朝鮮に経済支援する目的があったという情報が流れていたので、それを確認したかった。ペレス氏は当方の質問に直接答えるのではなく、「イスラエルは北を経済支援できる余裕はないと」という返答で終わった。経済支援ではないとすれば、イスラエルの政治家がなぜわざわざ平壌まで訪ねたのか、肝心のことは分からないまま終わった。

北朝鮮の首都、平壌は“東洋のエルサレム”と呼ばれ、キリスト教活動が活発な時代があったが、故金日成主席が1953年、実権を掌握して以来、同国の約30万人のキリスト者が消え、当時、北に宣教していた大多数の聖職者、修道女たちは迫害され、殺害された。同国は現在、「世界でキリスト者が最も迫害されている国」(国際宣教団体「オープン・ドアーズ」)といわれている。

当方は北朝鮮とイスラエルの間に何らかの繋がりがあると感じてきた。そのイスラエル外相が訪朝したと聞いた時、西のエルサレムと東のエルサレムの出会い、という観点からその訪問意義を勝手に解釈していた。当方は当時、ロマンチストだったわけだ。

実際は、ペレス氏の訪朝目的はもっと生臭いもので、イランと密接な関係を有する北朝鮮を訪問し、政治的チャンネルを構築することが狙いであったのかもしれない。

ペレス氏の言動で当方が最も印象に残っているのはローマ法王フランシスコの招きでパレスチナ自治政府代表のアッバス議長と共に、バチカンで和平実現のための祈祷会に参加したことだ(ローマ法王、アッバス議長、ペレス大統領の3者の祈りの会は2014年6月8日の聖霊降臨祭(ペンテコステ)の日、フランシスコ法王が宿泊しているバチカンのゲストハウス、サンタ・マルタで行われた)。

ユダヤ教の代表ペレス大統領と敬虔なイスラム教徒アッバス議長、そしてキリスト教の代表フランシスコ法王の3者が一カ所で中東の和平実現のために祈ったことは歴史的な出来事だった。彼らは「祈り」がひょっとしたら他の外交交渉よりもパワフルであると信じていたのかもしれない。ペレス大統領は神の力を学び、知っている政治家といわれている(「『祈り』で中東和平は実現できる」2014年6月1日参考)。

ちなみに、アブラハムを“信仰の租”とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗派にとって、祈りもその動機が異なる。イスラム教専門家でバチカンのグレゴリア大学で教鞭をとるフェリックス・ケルナー神父は、「イスラム教徒が神に委ねるのは、神が全能だからだ。ユダヤ教徒の場合、神がユダヤ人を選民として選ばれたからであり、キリスト教徒の場合、神がイエスキリストを送って下さったからだ」という。

ペレス氏は1994年、ラビン首相(当時)とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長(当時)とともに中東の和平実現(オスロ合意)に貢献したことからノーベル平和賞を受賞したが、残念ながら、中東の和平はその後、暗礁に乗り上げて今に至っている。

ちょうどノーベル平和賞受賞20年後に、ペレス氏はローマ法王とアッバス議長と共に中東の和平実現のため祈ったわけだ。ペレス氏にとって祈りは民族間の紛争を解く残された最後の手段だったのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。