Bリーグ理事が振り返る。奇跡の開幕を実現した3つの天王山 --- 境田 正樹

寄稿

苦難を乗り越え華々しい船出を飾ったBリーグ(公式Facebookより引用;編集部)


9月22日、Bリーグが開幕しました。17時頃に代々木第一体育館に到着すると、目の下にクマができ、明らかに徹夜明けといった表情のBリーグ職員が何人も元気に走り回っていました。その姿を見ながら、昨年春、日本バスケットボール協会が国際バスケットボール連盟(FIBA)から制裁処分を受けていた頃、この問題の解決に不眠不休で懸命に取り組んでくれたJBA職員のことを思い出しました。

「社員」は川淵氏と2人だけからのスタート

Bリーグ運営法人は、2015年4月1日に設立されましたが、当初の社員は川淵さんと私だけ、理事も川淵さんと私だけ、正規職員はゼロ、資産もゼロ、オフィスはサッカー協会の空き室を間借りという状態からのスタートでした。そのような状態でも、FIBAからジャパン2024タスクフォースに課された課題は山積、先の見えないなか、制裁解除に向けた膨大な業務をこなす日々が続きました。

最重要課題の一つ目は、分裂していた2つのリーグの統合でした。FIBAは、4月末までに、bjリーグ所属の24チーム、NBL所属の13チーム、NBDL所属10チームの合計47チームの全代表者から、新リーグ加入についての同意を書面で取ることを求めていました。

ところが、bjリーグとNBLは、そもそも10年にわたって対立してきたという経緯があり、相互不信があるうえ、肝心かなめのリーグ運営に対する基本理念まで一致していません。実際、各チームの代表者にヒアリングしてみると、一つのリーグで戦うこと自体に抵抗感のあるチームがかなりありましたし、また、リーグの統一自体には反対ではなくても、この条件は譲れない、あの条件は譲れない、という条件を提示してくるチームも数多くありました。

異論・反対意見が噴出した新リーグ構想

このように、まずは、2つのリーグを仲直りさせ、一つにすることだけでも大変な話なのに、2015年3月4日のタスクフォース会議では、「新リーグは、これまでのリーグの延長線上であってはならない、これまでとは次元の異なるリーグ、新たな価値を生み出すリーグを創り上げなくてはならない」、という考えのものと、新リーグ加入の要件として次の条件を課したのです。

①2016−17シーズンに新リーグを開幕すること
②1部、2部、地域リーグとピラミッド型で運営すること
③トップリーグチームについては独立法人化すること
④トップリーグチームに関しては、5000人収容のホームアリーナでホームゲームの8割を開催すること
⑤サラリーキャップ(年俸総額制限)を廃止すること
⑥入会届の提出までに所属リーグに退会届を提出すること

当然のことながら、これらの要件に対しては、bjリーグに限らず、NBL、NBDLの多くのチームからも異論、反対意見が噴出しました。

しかしながら、FIBAは4月末までに全47チームから新リーグ入会の申込を書面で取らなければ、制裁解除は認めません。つまり、1チームでも入会申込書を出さなければ、男女日本代表は、リオ・オリンピック予選を含め、国際大会へは永久に出場できないのです。そのような切迫した状況下で、我々は、日々、47のチームの代表者と面談を重ね、もしくは現地に出向き、説得、交渉を続けました。

そして、多くの関係者のご協力ご支援も頂けた結果、何とか2015年4月末までに全チームからリーグ退会届と同意書をとることができたのです。

FIBA制裁解除のため、バスケ界の功労者に辞任をお願い

二つ目の課題は、日本バスケットボール協会のガバナンス改革でした。FIBAは、JBA改革の一つとして、理事と評議員の刷新、つまり、25人の理事全員が辞任すること(再任なし)、また60名超の評議員全員も一旦辞任し、再度、しかるべき評議員選任手続きを経て新たに評議員を選任することを求めたのです。

JBAのガバナンスが十分に機能していなかったことは否定できないとしても、個々の理事や評議員が業務を懈怠していたわけではありません。JBAの理事や評議員はバスケットボール都道府県協会の代表者であったり、大学体育連盟、高体連などバスケットボール界を支える団体の要職を占めている方々であり、これまで、バスケットボール界を長年にわたって(無償で)支えてこられた功労者ばかりです。

さらに、今回は、彼らには、役職を辞した後も、従前通りバスケットボールに関わる業務を続けてもらうこと、さらには、FIBAが求める改革実現のため、新たな業務も担ってもらうことも了解してもらわなくてはなりません。そのような状況下で、すべての理事・監事、評議員から4月中に辞表を出してもらうこともかなり骨の折れる作業でした。

しかしながら、これを実現できなければ、やはりFIBAの制裁は解除されず、リオ五輪予選への出場も叶わないわけですから、やりきる以外に選択肢はありませんでした。そして、関係者のご協力ご支援もあり、4月末には、何とか全理事・監事・評議員から辞表を出してもらうことができました。

天王山で凄まじかった川淵氏の覚悟

振り返ってみますと、リーグ統一とJBAのガバナンス改革という大きな2つの難題をこれほどの短期間に解決できた背景には、いろいろな要因があったと思いますが、おそらく最も大きな要因は、3つの大きな天王山、すなわち、2月12日に開催されたbjリーグ代表者会議、同じく2月12日に開催されたNBL、NBDL代表者会議、3月19日に行われたJBA評議員会を最高の形で乗り切ることができたからだと考えています。

いずれの会合も川淵さんと関係者が初めて面談する日であり、この日の会合で話が決裂してしまうと、おそらくリーグ統合もJBA改革も失敗することになってしまうという天下分け目の日でした。いずれの日も朝、川淵さんに会うと、顔色は悪く、血圧は200を超えているとのこと、おそらく当日は夜通し朝まで何度も何度もその日の会合で何を話すか、どのように話すか、質問には何と答えるかをずっと考え抜かれていたのだと思います。

しかし、いざ、演壇に上がると、その体全体からほとばしるエネルギーは凄まじいの一言でした。私も弁護士という職業柄、様々な修羅場を体験してきましたが、人があそこまで魂を込めて、体中の全ての力を振り絞って、他人に対峙するという光景を目にしたことはありませんでした。

おそらく川淵さんは、今日のこの会合で、たとえ命を失ったとしても、バスケットボール界を救えることができればそれで本望だという覚悟で臨まれていたのだろうと思います。その圧倒的なエネルギーに、会場にいた関係者の多くが、最初は憮然としていたにも関わらず、徐々に、新しいバスケットボール界を自分たちで創り上げていこうという不思議な連帯感、高揚感に包まれていく光景も忘れられないものでした。

新時代を作り上げる不思議な連帯感…そして開幕へ

このあたりの出来事は本当にエキサイティングなこと続きで、まだまだ書き足りないのですが、キリがないのでこのあたりで止めます。

2015年5月中旬の評議会で新たに川淵さんがJBA会長に選任され、タスクフォースの任務もほぼ終了する頃、そろそろ新リーグの開幕戦を考えないといけませんね、2016年9月22日が祝日なのでいいかもしれません、場所は有明がいいかな、でもテニスの大会のある季節だから代々木第一かな、まずは空いているか確認してみますね、あと、地上波のテレビ中継が入ってくれるといいですね、でも数カ月前を思い出すと本当に夢のような話ですね~、という会話をしたことが懐かしく思い出されます。

今でも、当時の日々を思い出すと胸が熱くなります。
本当に多くの方々の支えがあって、ここまでたどり着くことができました。
これからも、Bリーグへのご支援、ご協力、是非ともよろしくお願い申し上げます。


公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)理事
境田 正樹


編集部より:このブログは、Bリーグ運営法人の境田正樹理事のFacebook 2016年9月24日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた境田氏に心より感謝いたします。