ハンガリーの「動乱60周年」と国境

ハンガリーのオルバン首相は17日、ドイツ南部バイエルン州の州議会でハンガリー動乱60周年の記念講演をしたが、その中で昨年欧州を席巻した難民問題と1989年の旧東独国民へのハンガリー国境開放を例に挙げ、「両者とも欧州の自由に関わる問題だった」と強調した。

オルバン首相の説明に耳を傾けよう。
「1989年は共産政権時代から民主化へ向かう転換期だった。ハンガリーは旧東独国民のためにその国境線を開放しなければならないかった。そして昨年と今年、ハンガリーは国境を閉鎖しなければならくなった。なぜなら、自由を守らなければならなかったからだ。両者はコインの両面だ」という。
簡単にいえば、前者は“自由を得る”ために、後者は“自由を守る”ためだったというわけだ。オルバン首相は講演の最後に、「ハンガリーは常に欧州の自由を守る側に立っている」と強調した。

▲オーストリアとハンガリー間の“鉄のカーテン”を切断するホルン・ハンガリー外相(当時、左)とモック・オーストリア外相(当時、右)=1989年6月27日、両国国境で撮影

もう少し考えたい。前者は共産政権の圧政“からの自由”を求めた旧東独国民を受け入れるためにハンガリーは国境線をオープンした。ハンガリー国民は1956年10月、ソ連の支配に抗議した通称“ハンガリー動乱”を経験している。今月23日で動乱60年目を迎える。この民衆蜂起は圧倒的な軍事力を持つソ連軍によって鎮圧された。同動乱で数千人の市民が殺害され、約25万人が国外に政治亡命した。

それでは後者の場合、オルバン首相が主張する「欧州の自由を守る」とは具体的に何を意味するのか。欧州が築いてきた文化的、経済的な生活環境を、招いてもいない難民・移民に奪われないために守ることを意味するのだろうか。もしそうならば、グロバリゼーションの時代、国際連帯が急務な時代に少々利己的な姿勢だという批判が飛び出してきても不思議ではない。実際、その声は他の欧州諸国から聞かれる。

多分、オルバン首相の真意は別のところにあるのだろう。欧州のキリスト教文化、社会をイスラム教徒の北上から必死に守りたいのではないか。オルバン首相をミュンヘンの記念講演に招いたホスト、ゼーホーファー州知事(「キリスト教社会同盟」(CSU)も「われわれは国境を閉鎖しなければならない。これはキリスト者の使命だ」と強調し、オルバン首相の真意を代弁している。

ところで、オルバン首相やゼーホーファー州知事が守りたい欧州のキリスト教文化は残念ながら満身創痍の状況だ。異教徒のイスラム教徒が殺到しなくても、キリスト教会は崩壊の危機に直面している。信者の教会離れは年々加速する一方、聖職者の未成年者への性的虐待事件は多発している。欧州のキリスト教文化は外からの異教徒の侵入からではなく、内から崩れてきているのだ。

それでも、オルバン首相は健気に「欧州の自由を守らなければならない」と決意し、国境線の監視を強化したわけだ。ハンガリーは隣国オーストリアと同様、オスマン・トルコ軍の侵攻を受けた国だ。イスラム教徒に対しては歴史的に恐怖と憎悪を有している。欧州には既に約1500万人のユーロ・イスラム系住民が住んでいる。オルバン首相の“欧州のイスラム化”という悪夢は全く根拠がないと一蹴はできないわけだ。

オルバン首相は久しく“欧州の異端児”と見なされてきた。難民問題では当初、難民歓迎政策を実施するドイツのメルケル首相の批判者として孤立していたが、ここにきて支持者を増やしている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。