トスカーナの休日

ローマでフィアット500、白赤カブリオレを借りて、ペルージャに着いた。
18年前、セリエAのデビュー戦、このスタジアムでユベントス相手に2点取って伝説になったヒデトシ・ナカタ。
素朴な町の、質素な球技場である。

2001年、モロッコの路地を歩いていたらナカタナカタ!と盛んに声をかけられた。
イタリアの田舎、ウンブリアの選手が衛星で北アフリカでも有名になっている。
サッカーの力、衛星の力を知った。
15年たって、現場に来た。

5年前、ナポリから海岸に向かうバスの中で、若い衆からナカムラ!と声をかけられ、えボクのこと知ってるの?と思ったら、シュンスケのことだった。
まだホンダ!ナガトモ!と声をかけられたことはない。
それよりニーハオ、とかけられることが増えた。
がんばれホンダ、ナガトモ。

巡礼地、アッシジ。ウンブリア、エトルリア、ローマ、東ゴート、ランゴバルト、フランク、ペルージャ、教皇という支配の歴史。
てゆーか、このあたり、どこ行ってもそんな歴史。
数々の城壁の村も、無数にある路地も、それを語る。

ウンブリアからトスカーナのシエナに入る。
イタリア最古の銀行、Monte Dei Pashi本店。
左からバロック、ゴシック、ルネサンスの14~16cの建物が並ぶ。
豊かなトスカーナ。
あ、ここまで書いててすみません、たんなる旅です。ヒマなんです。

Palio di Sienaと呼ばれる競馬が年2回、ここで開かれる。
17地域から10頭の馬と色とりどりの騎手が狭い広場を駆け抜ける。
鞍もつけず、転倒、落馬は恒例。
次はそれを見に来よう。

ところで、欧米にいて、東洋人という引け目を感じたことはないが、敗戦国の負い目を感じることはある。
それはドイツにいると感じない。
だがイタリアにいると感じてしまう。
(ピエンツァ)

イタリアは連合国にやられてから終戦になったため、戦勝国のつもりでいやがるからだ。
それってどうよ。
と思うが、その屈託のなさがイタリアたるゆえんなのだろう。
ま、いいか。
(コルトナ)

85年、通信自由化を巡る日米交渉の場で、郵政省電気通信局長が
(アメ公イタ公は信用できねぇ)
とつぶやいたことを忘れない。
このトスカーナに来ているアメリカ人は最も信用できねぇのかもしれない。
でもいい人たちだよ。
(カスティリオーネ)

教会、広場、鐘の音、石畳、路地、たなびく旗の紋章、の向かいの家どうしをつなぐ上階の通路、骨董、靴、カバン、レース、宝飾、ガラス細工、陶器、細密画、古書、オリーブ油。
だいすき。

しかしこんな山頂にも城塞と教会を築かなければならなかったみなさんは大変でしたね。
おかげでBS日テレ「イタリアの小さな村」が成り立つのですが。
(カスティリャーノドルチャ)

運転すがら暇なので二で終わるイタリア野郎を思い浮かべる。
フェリーニ、パゾリーニ、アントニオーニ、タヴィアーニ、マストロヤンニ、プッチーニ、アルマーニ、モディリアーニ、マルコーニ、ムッソリーニ、ベルルスコーニ・・・
もう出ない。

二が出なくなったので、い段で終わるイタリア野郎を思い浮かべる。
ビスコンティ、トッティ、インザーギ、ダビンチ、ヴェルサーチ、ヴィヴァルディ、フェラーリ、マキャベリ、ボッチチェリ、ベルトルッチ、モンテッソーリ・・・
もう出ない。

お段で終わるイタリア野郎を思い浮かべる。
ミケランジェロ、ガリレオ、バッジョ、カラバッジョ、ガットゥーゾ、デルピエロ、サンドロロポポロ、レンゾピアノ、ウンベルトエーコ、フェラガモ、ジローラモ・・・
もう出ない。
以上、イタリア人か苗字かも怪しいが。

行き着いた山中、15世紀の郵便局を改装した宿に泊まる。
ウラの温泉はローマ時代のもの。
阿部寛が掘ったものと思われる。

古い郵便局を宿にしてくれたら、ぼかあ全国巡礼しますよ、配達だって手伝いますよ、日本郵政さま。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年10月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。