産経新聞によると、厚労省幹部は「この件はもうわれわれのところで判断できるレベルのものではなくなった」と、政権の意向をにおわせているという。
安倍政権は「働き方改革」と称して、同一労働・同一賃金などの政策を打ち出しているが、これは「デフレ脱却で成長率を上げる」というのと同じく、結果を変えて原因を変えようとするまやかしだ。賃金は労働需給の従属変数であり、賃金格差は「正社員」中心の雇用慣行を変えないと縮まらない。異常な長時間労働も、その結果である。いくら「ブラック企業」をスケープゴートにしても、雇用慣行が変わらないかぎり問題は解決しないのだ。
雇用慣行を変えることは容易ではないが、OECDなども提言しているように、労働基準法や労働契約法で解雇の基準を明確化し、金銭的な補償も可能にして雇用規制を緩和し、雇用を流動化するしかない。イタリアでもスペインでも、不況に陥った国は解雇規制を弱めるのが常識だ。
ところが安倍首相は、この問題に手をつけない。それは厚労省の方針だが、彼の祖父から今井尚哉秘書官まで受け継がれる国家社会主義の思想でもある。正社員が始まったのは産業報国会で、長期雇用も年功序列も戦時体制で始まった(一般化したのは1950年代)。首相がそれを知っているかどうかはわからないが、解雇規制が政治的に危険な問題であることは知っているだろう。
もちろん解雇規制を緩和しても、電通が正社員をどんどん指名解雇することはない。判例でも「労働者保護」の温情主義が定着しており、大企業は「雇用の不安定な会社だ」という風評を恐れる。だが中小企業では解雇は当たり前で、「終身雇用」は建て前にすぎない。
それでも自殺した東大卒の女子社員のような幹部候補生は終身雇用を信じ、将来の出世のために長時間労働やサービス残業で実績をつくろうとする。だから「正社員」という規範を政府が否定することが重要だ。それは既存の労働者保護を弱めるが、労働者の外部オプションを増やして退出障壁を下げる。
そういう不人気な改革は、長期政権でないとできない。電通を血祭りに上げれば世間の喝采は浴びるだろうが、サービス残業は地下にもぐるだけだ。規制強化は労働市場をさらに硬直化し、日本経済の構造的なひずみを拡大してしまうのだ。
12月29日追記:きのう電通が書類送検され、吉田社長が辞任を表明したが、おそらく検察は起訴しないだろう(略式起訴か起訴猶予)。過労自殺は年間200人も労災認定されているが、刑事事件になった前例はない。因果関係が法的に証明できないからだ。今回の事件では電通の労基法違反は明らかだが、遺書もないので、それが自殺の原因かどうかは不明だ。雇用問題は「犯罪化」するのではなく、労働市場の改革で解決すべきだ。