『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』が描く現代戦のリアル

アゴラ編集部

兵器としてのドローンの進化は年々著しい。しかも、戦場で多数の死傷者を出しながら、攻撃の断を下すのは、地球の裏側の静かなオペレーションルームという現実。そんな21世紀の戦争の実態を描いた英国映画『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』があす12月23日から日本で公開される(TOHO シネマズ シャンテ他)。封切りに先立ち、プロデューサーのゲド・ドハティ氏への単独インタビューをお届けする。(取材は11月中旬。聞き手は編集長・新田哲史)

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」ストーリー

ナイロビ上空6000㍍を飛ぶドローンを使い、英軍諜報機関のパウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、国防相のベンソン中将(アラン・リックマン)と協力して、英米合同軍事作戦を遠く離れたロンドンから指揮している。凶悪なテロリストたちが大規模な自爆テロを実行しようとしていることをつきとめ、アメリカ・ネバダ州の米軍基地にいるドローン・パイロットのスティーブ(アーロン・ポール)に攻撃の指令を出すが、殺傷圏内に幼い少女がいることがわかる。キャサリンは、少女を犠牲にしてでもテロリストを殺害を優先しようとするが−—。(出典:ファントム・フィルム資料)

将来を的確に予測していた脚本

——試写会で拝見したが、ドローン兵器の最新事情から、攻撃を決めるまでの意思決定のプロセスなど、非常にリアリティーに富んだ映画だった。

このストーリーは実際のことか、よく聞かれるけども、ドローンを使う場合、2パターンある。1つはアフガニスタン、パキスタン等の特定の地域に使う場合は、決定するプロセスが決まっており、映画で描いほどの多くの人物は関わらない。一方、映画はケニアという友好的な国で使われる、もう1つのパターン。まったくルールがない状態で、誰が決断すべきか、誰もわかっていない。だから、政治家や軍事関係者ら多数が関わってくる。

脚本のガイ・ヒバートが将来を予測していた。2015年にカナダ・トロントでプレミア上映があった時の1日前、イギリスのキャメロン首相が、シリアで一般市民がドローンの攻撃によって亡くなったと公表した。それだけ、ガイは将来が見えていた。

もうひとつ、虫のドローン、鳥のドローンは、実は脚本を書き始めた当時は存在せず、想像力を働かせて作ったのだが、いま現実のものとなった。蚊の大きさのドローンは指先に止まる。一番前にカメラがあり、針で刺してDNAを採取し人物を特定。毒を持ったドローンが飛んできて、この特定した人物を殺害することも可能だ。

米大統領は毎週火曜に暗殺対象者のリストを決める

——蚊のドローンの存在は知っていたが参照、実際にどう使われるのかは想像できなかった。

群れになって動くドローンを見たことがあるかい?

——いや、そんな兵器があるのか?

(講演イベントの)TEDトークでも紹介されたが、50機くらいが群れになって飛んでくる。

ドローンの使い方が法律的に正しいかどうか、アメリカのホワイトハウスでは「Terror Tuesday(恐怖の火曜日)」といって、毎週火曜にある会議が行われます。そこで大統領が重要人物のリストを見直す。そこでリストに残った人たちはその週、ドローンで狙われるというシステムがある。大統領自身が死刑の執行人であり、裁判官であり、陪審員であり、すべてを決めてしまう。

それがいいか悪いか。。。政治的観念によって悪いという意見が多いが、トランプ氏が大統領になるので不安はある。リストに一度載ってしまった人物は標的になり、無実であってもテロリストとしてアメリカにみなされてしまったら、狙われてしまう。同じ遠隔で殺害するのでも、弓矢や大砲などと違い、ドローンについては使い方の是非について議論が起こる。

ゲド・ドハティ氏 Profile

1958年イギリス生まれ。元ソニー・ミュージックUK会長兼CEOで現在は英レコード産業協会会長。ビジネスマン時代は担当歌手のレコードを2000万枚売り、マイケル・ジャクソンの販売キャンペーンを取り仕切った逸話を持つ。2012年、『英国王のスピーチ』でアカデミー賞を受賞した俳優のコリン・ファース氏と共に映画制作会社レインドッグ・フィルムズを立ち上げた。本作が映画プロデュース第1作。

犠牲者の視点も描きたかった

——今回が初の映画プロデュース。その題材にドローン兵器を選んだ理由は?

いくつか理由があるが、ガイが脚本を書いたとき、犠牲者の視点も描きたかった。人間の命の重さというテーマに惹かれた。ふたつめはコリン・ファースも皆同じ意識だが、「現代の戦争はドローンによって撲滅できていないのではないか?」ということ。これは自分の意見だが、人を殺すことによって犠牲者の家族、知人が西側を恨む。それによってテロリストがまた増えてしまうのではないかという懸念がある。それを問題提起したかった。3つ目はいま世界がどんどん小さくなっている。

電話やインターネット等の技術によって、つながっているので、戦争がどんどん遠隔から行われることが可能になっている。ただ、その中心にいるのが人間であることを観客の皆さんには思い出してほしいという理由から、この作品を選んだ。

「殺傷圏内」に入ってしまったパン売りの少女の運命は?

——貴方はソニーグループ出身。技術の社会に与える影響や、日本の技術に対する印象等があると思うが、人間社会とテクノロジーの関係は、AI(人工知能)が仕事を奪うという見方のように必ずしもいいことばかりではない。そのあたりは今後手掛ける映画の題材として興味あるのか?

1985年に初めて東京に来たが、未来都市に足を踏み入れた感覚だった。日本は常に世界の何年も先を行っているという印象だった。ソニーは常に革新的な製品を生み出していて、最新の機械を母国に持ち帰っていつも自慢していた。

AIに関していうと、それでもやっぱり人間は互いに触れ合い、直接コミュニケーションを取ることを求めているのでは。iTunesが出てきた時も、「みんなCDを買わないんじゃないか?」「ライブに行かないんじゃないか?」と言われていたが、そうでもなかった。実際にお互いに触れ合うことを求めていると思う。触れ合うという意味では、映画も体験を共有する。

AIは、医学や地球(環境)のためになることに使えばいい。でも、もし自分が投資をすることがあれば、インターネットとか技術に関係ないビジネスにする。常に電話を持っていて、常に情報が入ってきて、技術に囲まれているので、子供にもたまには電話を切るように言っている。昨年のクリスマスはタイに行ってジャングルで過ごしたが、電話もインターネットもなく、電気も発電機を使って確保するようなところだったが、じっくり眠れた。何かそういう(環境を提供する)ビジネスが今後発展していくんじゃないか。

本作は1月に死去したアラン・リックマン(『ダイ・ハード』の悪役でおなじみ。写真右)の遺作に。映画では、政治家に攻撃を助言する英軍中将を演じた

「不安」の時代に本作を封切る意義

——トランプ氏の米大統領選当選、英国のEU離脱など世界的にグローバル化に反抗して“内向き”になり、ナショナリズムが吹き荒れている。今回の映画を世に送るにあたって、どういう意義があると思うか。

素晴らしい質問だ。映画をつくった時点で、リアリティー番組のホストが大統領になったり、母国の国民の50%がEUから離れると決断したりするとは思ってもみなかった。そういうタイミングで、この不安な時代に映画を出せるのは偶然ながら、すごい意味がある。さっきも話したように、世界は小さくなってきて、いろんな情報が行き交っていて、心配や不安が簡単に広がっていく状態だ。ナショナリズムの問題も出てきている。私自身はEUに残ることに投票した。一緒にやっていくことが大切だと思っていたので、結果にはショックを受けた。

ただ、去るほうを選んだ人は「不安」から決断したのだと思う。トランプ氏が今回当選したのも「不安」からだ。フランスやイタリアでも見られる現象。親としても、一人の人間としても、将来に懸念は持っている。どこかで読んだ話だが、人が人生で大切な決断をするとき、「愛」を元に決断をするときと、「不安」を元に決断する場合がある。最近は「不安」を元に決断することが多くなっているが、いかに話し合って、そういう決断を減らしていくか。「愛」を元に決断するには、いかにすればいいのか、探っていくべきだ。

——現実が映画を超える展開だ

そう(苦笑)映画を超えるような事態になりつつある。映画であれば、脚本があってエンディングが見えるが、先が見えない状態だ。

——日本は70年戦争をしてこなかったが、PKOでも法改正されて実戦に少しずつ出て行く方向になっている。トランプ大統領がアジアから米軍の戦力を長期的に引き上げる流れになると、日本と中国の間で緊張状態が生まれるかもしれない。日本人にとって戦争が現実になる可能性もある中で、日本の人たちにこの映画のどこを見てもらいたいか。

日本が戦争に巻き込まれないことを祈っているが、現実のものとして考えるべきことではある。映画でも描いたように、戦争の中心にいるのは人間であり、そして無実の犠牲者が常にいることを考えて欲しい。私自身は幸い、大統領のように軍事の決定をする側ではないが、日本でも法律が変わりつつある中、人間が戦争の中心にあることは忘れないでほしい。

インタビューを終えて
21世紀型の戦争のリアリティをかなり取り込んだ本作。軍事・安全保障の関連記事がよく読まれるアゴラの読者にも興味深いテーマだろう。映画を見て意外だったのは、米英軍の作戦遂行時のコンプライアンスの(おそらく)実態だ。百戦錬磨だけに日本よりも有事の制約が少なそうな印象だが、やや過剰に思えるほどに描いている。テロリスト暗殺の千載一遇のチャンスに偶然居合わせた少女の命を守るべきか、ギリギリの難しい判断から政治家たちが逃げ回る様は、今夏話題だった邦画『シン・ゴジラ』を彷彿とさせるようで、どこの国も“エグゼクティブ・デシジョン”の難しさが似たようなものだと感じた。(新田哲史)