消滅時効を経済学で考える

民法で定められている時効には、「消滅時効」と「取得時効」の二種類があります。

「消滅時効」というのは、売買代金や貸付金を一定期間放置しておくと時効によって消滅してしまうという制度です。もっとも、時効完成によって自動的に権利が消滅するのではなく、義務者が「時効を援用する」(平たく言えば「時効だから払わない」と言って支払いを拒絶すること)ことによって消滅するのです。

ちなみに、飲食代金などは1年、売買代金などは2年という短期間で消滅することになっています。もっとも、これらの短期消滅時効は、近々予定されている民法の債権の部分の改正で変更される予定です。

ところで、民法の時効制度の存在意義については諸説あります。代表的なものとしては、「権利の上に眠る者は法は保護しない」「期間の経過によって証拠が散逸する」「真の権利者を(証拠の不備による)不利益から守るため」などが挙げられています。

経済学的に考えると、消滅時効という制度は社会全体のコストを大幅に下げる極めて有益な制度だと私は考えています。

飲食代金を何年経っても取り立てることができるとすると、例えば銀座のクラブのママさんは、飲み代を払ってくれるまで何度も何度もお客さんに督促するでしょう。挙句の果てには勤め先に押しかけるかもしれません。督促に要する時間や費用、ひいては対応する相手の手間暇まで計算に入れると、全体のコストは膨大なものになってしまいます。税務署が損金扱いしてくれないと、ママさんは何年経っても督促をしなければなりません。これらのコストは、おそらく真面目に支払いをする客の料金に転嫁されるでしょう。となれば、銀座のクラブの料金は高くなって客足が減り、店も客も損をしてしまいます。

飲食代金が1年で消滅時効にかかると決めておけば、相手が時効を援用しなくとも、税務署は損金扱いをしてくれるでしょう。ママさんもそれ以上の無駄足を踏むことなく気分一新新しいお客さんの獲得に乗り出せるので、新たな社会コストは増加せずに済むのです。

さらに、ママさんは1年で飲み代が時効にかかるということを知っているので、上客でない人には「ツケ」を認めずにその場で支払ってもらうようにするでしょう。銀座のクラブに限らず、ほとんどの飲食店の経営者は現金払い(カード決済も含む)を求めるようになるはずです。

このように、消滅時効という制度は、飲食店経営者に”現金払いを励行する”インセンティブを与えます。商品の売買代金も2年で消滅時効になるので、商品の売り手も現金払い決済を強く求めるようになるでしょう。

これは社会全体のコストを大幅に下げる効果があります。

なぜなら、「ツケ」や「掛け売り」は、その金額を記録して管理し、回収しなければなりません。飲食店や商店の経営者が回収のために客先を訪問するのは時間的にも労力的にも大変なコストとなります。これが飲食代金や商品代金に転嫁されれば、現金払いを励行している真面目な消費者にまで類が及びます。

以上のように、(現金決済をすれば本来不要であるはずの)代金回収コストは、社会にとって損失しかもたらさない純然たるコストなのです。弁護士にとっては仕事になるかもしれませんが…(笑)ですから、飲食代金や商品代金は出来る限り現金払いにした方が社会全体の経済にとって明らかにプラスであり、それを促進させるのが消滅時効制度と考えることができるのではないでしょうか?

江戸時代は、「ツケ」などの掛け金は盆暮れにまとめて集金に回っていたそうです。回収し損ねると次の盆か正月まで待たなければならなかったとか。その無駄を解消したのが三井呉服商の創業者三井高利で、掛け売りという従来の慣習を取りやめました。三井財閥発展の原動力は、もしかしたら「掛け売り」の廃止にあったのかもしれませんね。
ちなみに、先述した短期消滅時効は、民法改正によって一律5年になるようです。

現金決済のインセンティブを考えれば、1年や2年で消滅させるという制度はそれなりに意義があると思うのですが、改正に携わった方々には経済学的素養が乏しいのかもしれません。

荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2016年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。