誰が人工知能(AI)の教師となるか

人は生まれると幼稚園、小学校、中学校、高等学校、そして大学に行き、学習を繰り返しながら成長していくように、人工知能(AI)もディープラーニングと呼ばれる訓練を受けながら、情報を蓄積し、成長していく。人間とAIが成長プロセスでいつか交差し、AIが人間の前を走りだすのではないか、といった不安が聞かれる。

▲シュピーゲル大学版の表紙(2016年6号)

ところで、AIにも人間のように知識を教える教師が不可欠だ。AIは自分から学習することはない。教師がいなければ単なる物質の塊に過ぎない。初歩の段階では情報量の拡大が優先されるが、次第に収集した情報を土台に新しいものを作り出していく。人間の成長プロセスと似ている。そして人間の感情の領域まで踏み込む段階を迎えるかもしれない。

AIにもいつかは「何が善であり、悪か」を教えなければならなくなる。それを教えるのは人間だ。彼がどのような人間観、倫理観、世界観を有しているかで、AIの人間観、倫理観、世界観も当然変わってくる。
具体的に考えてみよう。11月の米大統領選ではドナルド・トランプ氏とヒラリー・クリントン氏が激しく戦った。両者の世界観、人生観、ひょっとしたら、倫理観も異なっているだろう。だから、両者がAIの教師となれば、必然的に異なった2タイプのマシーンが生まれてくることになる。

学習である以上、教材が必要となる。どの教材をAI用学習に選ぶかが重要となる。「善」と「悪」にしても民族、歴史、宗教によってその内容も定義も異なってくる。宗教界の超教派運動を振り返ればいいだろう。多種多様の定義、規約がある。
例えば、「テロの定義」だ。何をテロとするかで国連加盟国数以上の定義があるのだ。パレスチナ人のテロは民族解放の正当な権利だという意見から、あれはテロだという定義まである。そのどの定義をAIに「これがテロだ」と教え、戒めることができるだろうか。

世界的神学者ハンス・キュンク教授は宗教の統一を目指して「世界のエトス」を提唱、世界の宗教界に大きな影響を与えてきた。教授は「キリスト教、イスラム教、儒教、仏教など全ての宗教に含まれている共通の倫理をスタンダード化し、その統一を成し遂げればいいのだ」と説明している。もちろん、これは「人間の世界」での話だ。AIの世界にも「世界のエトス」が必要となるのだ。

AIの学習がうまくいかないと、暴れん坊、落ちこぼれから、破壊者まで、さまざまなマシーンが誕生することになる。だから、誰が教師となり、どの教材を使用するかは非常に大切な課題となるわけだ。

ところで、誰がAIの教師資格を有しているだろうか。これは単なるプログラミングの問題ではない。AIの全人格的形成に責任が問われる問題だ。

AIがハード面で急速に発展したとしても、人間の発展がそれに呼応できない場合、AIはやはり未完成な成長で留まるばかりか、ひょっとしたら人類の脅威となる危険性すら完全には排除できない。全てはAIではなく、人間の成長如何にかかっているわけだ。人間が闘争を繰り返し、利己的な利益を追求する存在である限り、AIがイエス・キリストのようなロボットとなることは絶対にないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年12月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。