国際人道法を正しく理解してなければ国際法の素人

篠田 英朗

国際紛争を議論する上で、国際法の理解は重要だ(写真はイラク戦争の模様、GATAGから:編集部)

『現代ビジネス』に、掲載していただいた拙稿では、国際人道法についてもふれました。「国際人道法を適用すると、交戦権を行使したことになる」!?といった日本的な議論も、批判しました。 ただ、ややテクニカルになるかなという気もしたので、国際人道法それ自体のつっこんだ説明まではしませんでした。しかし本当は、こういう機会にあえて国際人道法の重要性について書いたほうがよかったかもしれません。

日本でも、大阪大学の真山全教授のような優れた国際人道法の権威もいらっしゃいます。しかし専門家の数は多くないのが実情です。武力紛争中の行為を規制する国際人道法は、憲法九条ロマン主義が支配的な日本社会では敬遠される事情もあったのでしょう。

私がLSE (ロンドン政治経済学院)で博士課程の学生をやり始めたころ、国際法の看板教授はRosalyn Higginsでした。LSEでは博士課程の学生はどんな授業でも聴講していい仕組みだったので、親しかった友人が聴講して感銘を受けていました。そこで私も聴講し始めようかと思っていた矢先、Higgins教授は、国際司法裁判所(ICJ)の判事に転出してしまいました。ショックを受けた私は、代わってやってきたChristopher Greenwood教授の通年授業を、単位取得の必要がなかったにもかかわらず、かなり真面目に出席しました。「この人はどれくらいタカ派なのか?」と思いながら聞いていましたが、Greenwood教授は、武力行使に関する法と国際人道法に特に造詣が深い方でした。後に、Greenwood教授も、Higgins教授の後任として、ICJ判事となりました(現在も判事)。

国際人道法に関心を持った私にとって、Adam Robertsオックスフォード大学教授は、憧れになりました。国際政治学者でありながら、国際人道法に精通した議論を多角的に展開する方だったからです。LSE出身の「英国学派」系の研究者の中でも際立って優れた方です。私は、一度、ラブレターのようなメールを出したうえで、訪ねていったことがあります。駆け出しの自分に対して驚くべき親切な対応で、尊敬の念が深まりました。

日本に戻ってきた後に、藤田久一先生の『国際人道法』という本を知りました。イギリスで国際人道法を覚えてきた私は、藤田先生のような方が日本にもいたのだと知って、それなりの驚きを覚えました。学者になりたてのころ、「藤田先生の著作で勉強させていただいている者です!」と言って学会などで近づいて話をさせていただいたのを覚えています。表情からにじみ出る人格の深さを持ち合わせており、私のような者に、同じ学者という職業を持っていることに喜びを感じさせてくれるような、素晴らしい方でした(2012年ご逝去)。日本でもそういう人格的にも優れた卓越した研究者によって、国際人道法の研究は守られてきました。

国際人道法の根本原則は、要約すると二つあると言われます。不必要な苦痛の回避(兵器の規制)と、軍人と文民の区別(攻撃対象の規制)です。

しかしそれ以前に重要になるのは、国際人道法(武力紛争中の行為に関する法:jus in bello)を、武力行使に関する法(jus ad bellum)と、厳密に峻別する姿勢です。両者をちょっとでも混同するということは、国際法を知らない素人だ、ということです。二つを混同していないかどうかは、国際法を知っているかどうかを審査する入り口にある踏み絵だと言ってもいいでしょう。

戦争をするかしないかに関する法は、武力行使に関する法(jus ad bellum)で、国際人道法とはかかわりません。武力行使は、現代国際法(国連憲章2条4項)において一般的に禁止されています。ただし例外が二つあり、国連安保理決議に基づく集団安全保障としての憲章7章の強制措置、そして憲章51条の個別的・集団的自衛権です。これらのjus ad bellumの法体系と、国際人道法(jus in bello)とは、国際法の体系において、全く別々のものとして存在しています。

両者を峻別するのは、武力行使に関する規制と、紛争状態における行為の規制を、分けなければならないからです。ただしい理由で武力行使をしたのだから、何をやってもいいということではない、あるいは紛争中の行為を適正に行っても、武力行使の正当性を認めるわけではない、ということです。

国連が、PKO要員に国際人道法の遵守を徹底する。それは確かに国連PKO活動の深化によって、PKO要員が武力紛争下に置かれる可能性が高まってきたことの反映でしょう。しかし、「国際人道法を適用するということは、国連が『交戦権』を行使するということだ!」、ということではありません。国連も一切そのような見解を示していません。ただ淡々と国際人道法の遵守を要員に求めるだけです。

あえて言えば、国際人道法は、交戦状態、と描写できるような状態における人間の行為に対して適用されるわけですが、そこに交戦権の行使があるとかないとかといった形而上学的な話には関わりません。

国際人道法を適用すると交戦権を行使したことになる、国連も日本国憲法九条二項の「国の交戦権」を行使している、といった話は、国際法体系を無視しているという意味で、暴論です。しかしそれだけではありません。国際人道法の発展に尽力に努力してきた無数の人々の努力、国際人道法を日本にも浸透させようとした藤田先生のような偉大な先人のご努力も踏みにじるようなものだという意味で、暴論です。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2017年1月12日の記事を転載させていただきました(タイトル改稿)。転載を快諾いただいた篠田氏に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。