検事は外見に無頓着でいいが弁護士は大いに気にする必要⁉︎

法曹の世界も「見た目が9割」?(写真ACより:編集部)

私が司法修習生として実務修習中のことでした、数人の修習生の前を同年輩の検事と弁護士が歩いていました。
隣に歩いていた同期の一人がボソリと呟きました。「やはり検事にはなりたくない。後ろから見ていてもスーツの質が全然違う」

当時は検事がとても不人気で「なり手」がなく、検察庁は一生懸命リクルート活動をしていた時期でしたので、いささか偏見もあったのかもしれません。

私にはスーツの質はわかりませんでしたが、検事は全国転勤で給料が安いのでスーツも安物なのだろうと思い、彼に同意しました。

しかし、これは明らかに間違った解釈と偏見でした。
当時の弁護士はほとんどが自営業者だったので、一般人や顧客の信用を獲得しないと仕事が入ってきません。

法律事務所というと縁がない人が多いので、歯科医院を例にとりましょう。
事前知識が全くないと仮定して、小綺麗な建物の歯科医院とオンボロ建物の歯科医院があってどちらかに入らなければならないとすれば、ほとんどの人は小綺麗な建物の方に入るのではないでしょうか?

よほど卓越しているか逆によほどひどくなければ、一般人にとって弁護士の力量や歯科医師の技術はなかなかわかりません。そこで、「ウチはお客さんがたくさん来るので信頼できますよ」という「シグナリング」になるのが、建物、服装、車などなどの外見なのです。

それに比べ、役所の建物がどれだけオンボロでも、私たちは隣の市や区の小奇麗な建物の役所に行ったのでは意味がありません。同じく、検事がどんなに粗末なスーツを着ていても、被疑者は「あっちの上質のスーツを着た検事に担当替えをして下さい」とは言えませんよね。

このように、一般論として「シグナリング」を発しなければならない人は外見に留意しなければならないのに対し、「シグナリング」を発する必要がない人は外見に無頓着でも何ら問題ないのです。

大雑把に言えば、自営業者、中小企業経営者等は外見に留意する必要がある人たちが多いのに対し、公務員や大企業の従業員はあまり外見に留意する必要のない人たちが多いですね。

昔のアメリカの法廷弁護士の多くは腕時計ではなく懐中時計を持っていて、見るからに信頼できるという外見だったそうです。私自身、弁護士になりたての頃、中古でドアのへこんだブルーバードに乗っていたら、相手のモラハラ夫に思いっきりバカにされました(詳細は「本当にあったトンデモ法律トラブル」)。

もっとも、自営業者や中小企業であっても、他のモノサシが決定的に重要な場合は外見は関係ありません。典型的なのが、メーカーの技術力や特許でしょう。

シリコンバレーの起業家たちがラフな服装をしているのは、外見で信用を得る必要がないからです。日本の優良メーカーの本社建物が驚くほど質素なこともよくあります。

シリコンバレーで自社が上場して億万長者になった若き経営者が、マイカーのホンダシビックの調子が悪いとボヤいていたら、友人が「君も億万長者になったのだから、せめてカムリくらい買ったらどうだ」とアドバイスしたという笑い話があります(カムリはトヨタの中級車です)。

逆に、大企業の看板が背後にある人でも、外見に留意しなければならない人たちはいます。典型的なのはトップたる社長やCEOでしょう。

何と言っても、テレビに写ったり新聞や雑誌に写真が掲載されるので、あまりに貧相な服装をしていると「この会社大丈夫か?」という噂が流れないとも限りません。

また、(特に日本では)出世して社長のようになりたいという意欲が社員のモチベーションアップにつながることが多いので、「憧れの存在」としてのシンボル的役割も果たさなければなりません。

いずれにしても、自営業者や中小企業経営者は、収入が不安定な上に外見に留意しなければならないので金銭的には大変です。「フリーランスは同年代のサラリーマンより『収入』が多くなければならない」と言われることがありますが、背景にはこのような事情もあるのです。

荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。