相続案件に学ぶ、お金の戦略

地に足のついたマネーライフの極意とは(写真ACより:編集部)

相続に関する相談を受けたり相続案件を受任すると、「お金」について様々なことを考えさせられます。今回は、私の取り扱った相続案件をもとに「お金の戦略」考えていきたいと思います。

大前研一先生が「今の日本人は死亡時に平均3000万円を残す」と書いておられます。
根拠となる資料を私は見ておりませんしあくまで平均なので、「そんなに残せるはずないよ」と思う人がほとんどではないでしょうか? 私も同感です。
もっとも土地建物等の不動産も含めれば、案外そんなものかもしれません。

いずれにしても、残す人がたくさんいるからこそ「相続争い」が起きて弁護士に仕事が回ってくるのです(笑)たくさんのお金を残した人たち(多い人だと数十億円というケースがありました)の生前のことを関係者に聞いてみると、極めて質素な生活をしていた人が思いのほか多かったことに驚愕した覚えがあります。

多額のお金を残したある男性は、質素を通り越して周りから「ドケチ」と言われていました。
旅行どころか外食も全くせず、下着などが破れても縫い合わせて使うよう妻に命じていたそうです。「贅沢は敵だ」と言われた時代であれば大いに称賛されたのでしょうが、その倹約ぶりは周囲の人たちから見ても異常なほどでした。

倹約家の男性が亡くなった後、妻をはじめとする相続人や親族たちが(旅行、外食その他もろもろで)毎日毎日大豪遊をして遺産を使ったのですが、1年以上経っても金融資産の1割も使えませんでした。何十年かぶりに外食をした妻は「こんなに美味しいものがあったのね」と涙ぐんだそうです。「美味しい思い」をすることなく亡くなった夫…彼ははたして幸せだったのでしょうか?

ある男性は、多額の財産を持ったまま高齢で寝たきりになってしまいました。同居している長男夫婦に(半ば脅されるような形で)長男に全財産を相続させるという遺言を作成しました(遺留分を考慮しなかったのが紛争の発端になりました)。

寝たきりになって面倒を見てもらうようになると、立場がとても弱くなります。
介護施設で暴力事件を起こるように、要介護者は健常人には到底太刀打ちできません。生殺与奪を握られて、自分のお金も自由に使えず、遺言書作成後は邪魔者扱いされるケースがとても多いのです。

シェークスピアの「リア王」のように、気前よく生前に財産をやってしまうのは悲劇的結果をもたらしますが、遺言作成後、子供夫婦に「早く死んで多額の遺産が入れば、家の改築ができる…子供の学費に使える…」などと自分の死を期待されるのも、一種の悲劇でははないでしょうか?

イタリア人は、人生の真ん中(40歳くらい)で資産を最大にして、その後の人生で全額使ってしまうと言われています。そんなにうまくいくはずはないのであくまで比喩でしょうが、これは「理想的な人生」のひとつだと私は考えています。

使わないお金がどれだけたくさんあっても、それはコンピュータ上のデータに過ぎません。残高が「10万円」と「100000万円」の違いであって、世界中のお金のほとんどはお札でもなんでもないタダの数字なのです。タダの数字を生きているうちに十分活かすことができれば、まあ…「いい人生」なのではないでしょうか?

預金通帳残高が少しずつ減っていくのは「不安で困ったこと」ではなく「いい人生を満喫している証拠」かもしれません。とはいえ、身の丈を越えた消費や豪遊は決してお勧めしません。高齢になってからドッカリ残高が減ってしまうと立ち直れなくなってしまいますから。

ざっくりと言ってしまえば、借金がなく、住む家があり、当面困らない蓄えがあり、少額であっても定期収入(年金も含む)があれば、人間はそこそこ楽しく生きていけるものと私は考えます。
「国家破産」や「老後破産」という言葉は、売らんがためのメデイアの戦略的煽りなのです。

毎月分配型投信のようなアコギな金融商品に手を出すことなく、ファイナンス理論の到達点である「安全資産」と「分散投資」を組み合わせれば十分です。ファイナンス理論の権威であるシャープ博士は「どんなに優秀なファンドマネージャーでも分散投資と安全資産の組み合わせには勝てない」と数学的に説明しています。

私が野村投信に勤務していた時、ファンドマネージャー全員が日経平均に負けていたのを知って驚きましたが、理論的には当然のことだったのですね。

定期収入の欲しい人は、値動きの少ない高配当株式を持つのもいいでしょう。
高配当株式の配当利回りは今でも3%を上回っているので、元本の変動を気にしなければ銀行預金よりもはるかに高利回りです。

正攻法でイジイジとお金を回しつつ、人生を楽しむことに重点を置いてみてはいかがでしょう?
「心配事の9割は現実に起こらない」と言われています。明日確実に生きているという保障はないのです(今日、交通事故に遭って死んでしまうかもしれません)。
”充実した楽しい今”を過ごしてみませんか?

荘司 雅彦
講談社
2006-08-08

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年3月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。