正義の嫌煙者が悪の喫煙者を殴る時代がやってきた?

松本 孝行

受動喫煙防止法というのがあるようで、オリンピックも迫っているということもあり、成立が急がれているようです。ですが、自民党の議員を中心に、法律の内容を「禁煙」よりも「分煙」の方向に持っていこうとしているようです。で、それをアゴラでは駒崎さんが盛んに批判しています。

世界より10年遅れの屋内禁煙法案に自民党の半分が猛反対

駒崎さんのTwitterやアゴラでの転載ブログを読んでいると、自民党のたばこ議員連盟がマイノリティのように思えますが、こちらの産経新聞の記事では自民党たばこ議連の対案のほうが支持されているようです。(受動喫煙防止策は自民党たばこ議連の「喫煙・分煙・禁煙」表示案に軍配)

私は非喫煙者ですし、たばこを吸っていた習慣はありません(葉巻はバーで吸ったりしますが)。しかしこの受動喫煙防止法への賛同を求めるやり方は問題があるように思いました。まるで喫煙者を悪、非喫煙者が正義であると主張しているように思えてしまうのです。

非喫煙者がふりかざす正義の棍棒

先日、有名な極東ブログで書かれていた文章がまさにピッタリと私の感じていることと当てはまりました。

これはその臭いが嫌いというのもあるが、無意識のなかではその煙草の臭いを発生させている人たちへの嫌悪もまざっている。そして、受動喫煙規制はそうした人々への、臭覚といった生物的な嫌悪の正当化の心理として働いているのを少し感じている。

引用:やあ、僕だよ。久しぶり。

大雑把に言えば規制を推進している方々は「タバコが嫌い⇒タバコを吸っている人が嫌」と感じているのではないか?かつ、それが正しい・正義であると考えているのではないか?と言うことだと思います。

受動喫煙防止法を強硬に推進している方々のTwitterやブログを読むと、まさにタバコを吸っている人を嫌っている様に見えてしまいました。もっと言えば、タバコを吸う人は悪である、悪の喫煙者を非喫煙者の我々が正さなければならない、というような正義を振りかざしているようにもみえてしまいました。最近話題になったポリコレに近いものを感じます。

喫煙者は悪なのか?

では喫煙者というのは悪なのでしょうか?タバコを吸う人は全員例外なく悪い人なのでしょうか?確かに歩きタバコをして溝に吸い殻を捨てる人、タバコの火が近いのを気にしない人、車の灰皿の灰と吸い殻を道端に捨てる人など、マナーが悪い人もよく見かけます(個人的になぜ溝に吸い殻を捨てるのか、溝に捨てればOKと思っているのか?というのは非常に気になります)。

ですが、殺人・強盗をしているわけでもないですし、しっかりと仕事をしていて日々暮らしている人たちがほとんどです。非喫煙者である我々と何ら変わらない、普通の人たちで悪い人たちではありません。

ここはすごく重要な部分で、タバコの吸い方に対しての規制を求めるのは良いとしても、タバコを吸う人そのものをバッシングするのは間違っています。タバコの吸い方に対してのみ、意見すれば受動喫煙についての防止は十分です。あえて喫煙者をバッシングする必要性はないと思います。

喫煙者の友人をバッシングするなら賛成できない

私は非喫煙者で、葉巻を半年に1度くらいシガーバーで吸うくらいのもので、タバコは吸っていません。昔から吸っていませんが、周りには喫煙者の友達・親族がいます。親兄弟から中高の友達、大学の友達、仕事仲間などなど、吸う人は3割程度います。友人たちは喫煙はしますが、いい人ばかりです。

受動喫煙防止法への賛成キャンペーンをアゴラやTwitter見ていると、上記で書いたようにタバコの吸い方だけではなく、喫煙者そのものをバッシングしているように見えてしまいます。もっと言えば今のやり方では私の友人や親兄弟、仕事仲間をバッシングしているように感じてしまうのです

もう一度受動喫煙防止法を推進している方々には、賛同を求める方法を考え直して欲しいと思います。でなければ非喫煙者でも、受動喫煙防止法に賛成しかねる状況なのです。