【映画評】はじまりへの旅

ベン・キャッシュは、アメリカ北西部の森の奥深くに住み、6人の子どもを男手一つで育てている。世間から隔離された子どもたちは、父親ベンの厳格なサバイバル訓練と熱心な英才教育によって、アスリート並の体力と天才的な頭脳を獲得していた。そんなある日、長く入院中だった母の訃報を受けて、一家は葬儀出席と母の遺言である、ある願いを叶えるため、葬儀の行われるニューメキシコまでの2400キロの旅に出る。世間知らずの彼らは行く先々で騒動を起こしながら、目的地を目指すが…。

文明社会から離れて森の奥で暮らす風変わりな一家が、外界と接触しながら旅をするロード・ムービー「はじまりへの旅」。大自然の中で世間から隔離して子どもを育てるのは、インターネットに依存せず、汚れた資本主義に触れさせないため。70年代のヒッピー・カルチャーを引きずったかのような父親は、子どもへの愛情は人一倍だが、その教育方針は激しく偏っていて、洗脳ともいえるものだ。思想家チョムスキーは知っていても、コーラやハンバーガー、ナイキやアディダスも知らない子どもたちは、一般社会で生きていけるのだろうか。初めて森を出て旅をした子どもたちは、それまで絶対だと思っていた父親と彼の考え方に矛盾を感じ始める。外の世界で生きるなら、他者の価値観にも敬意を払うべきだということも学んでいく。子どもたちは、初恋(あっという間に失恋!)や、祖父母の愛情といった“本には載っていない体験”を通して成長していくのだ。

幼い末娘を大人扱いし、自ら命を絶った母のことも子どもたちに包み隠さず伝えようとするベンの教育方針には、さまざまな意見があるだろう。それが当然だ。だがスティーブと名付けたバス(キャンピンカー)に乗っての長い旅は、一家に現実に立ち向かう力を与え、それぞれの未来を示してくれた。母の最後の願いを叶えるシークエンスや、チョムスキーに傾倒するベンがヒゲを剃って新しい人生を見据える場面は、ある種の崇高さに満ちている。育児や教育の本質を改めて考えさせられるが、そんな難しいテーマを、ユーモアとペーソスをもって描いた語り口がとてもいい。作り手の優しいまなざしを感じるこの作品を、好きにならずにはいられない。
【75点】
(原題「CAPTAIN FANTASTIC」)
(アメリカ/マット・ロス監督/ヴィゴ・モーテンセン、ジョージ・マッケイ、フランク・ランジェラ、他)
(ユーモア度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年4月3日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Twitterから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。