デモに参加すべきか、ヒマがあれば働くべきか

今年もまた最低時給1500円以上を要求するデモが行われたそうです。それに対して「デモやるヒマあれば働けバカ。」という人がいたり、「弱者はなぜ文句を言わなければならないか」とデモをする人たちを擁護するなど、賛否両論の声が上がっているようです。

おそらくアゴラ寄稿者及び読者の方々は「働いたほうがいい」と考える人のほうが多いんじゃないでしょうか。私も働いた方がいいと思います。デモが嫌い・意味がないとまでは言いませんが、最低時給1500円以上を求めるデモは当事者の役に立たないのではないかと思っています

時給1500円デモより眼の前のお金

デモは個人の問題を今すぐ解決しない

この時給1500円デモについて、上記でご紹介した赤木さんは下記のように書かれています。

しかしそれでも、最賃1500円を支持するのは、長期的にはベーシックインカムが実施されることもあるかもしれないが、先10年20年という短いスパンで考えた時に、労働による分配だけを正しい分配だと考え、社会保障による分配を極めて軽視する経済オンチな日本社会の中で、現実的に貧しい人を少しでも救うことは最低賃金を上げることでしか達成できないと考えるからだ。

上記で書かれているように、最低賃金を1500円まで上げて分配することは10年20年とかかるだろうということです。

10年20年というスパンを短いと見るか長いと見るかは人によって変わるかと思いますが、私にとって10年20年というのはかなり長い期間です。10年20年後に時給1500円を上げるためにデモをするのはいいですが、私にとっては10年20年後の時給1500円よりも、目の前にある1日1万円の日給の方が輝いて見えます。

確かに社会を変えるということであれば長期的に見ればデモは有効かもしれません。ただし、個人の今ある状況をできるだけ早く改善するという点において、このデモは無力です。個人の状況を改善するなら「働けバカ」のほうが、圧倒的に当事者にとって有効でしょう。

社会を変えるよりも自分を変える方が早い

結局、この「デモに参加すること」と「ヒマがあれば働くこと」は向いている方向が違うのです。長期的な視点でデモは社会を変えることに、働くことは短期的な視点で個人の現状を変えることに向いているのです。なのでどちらも両立することはできるでしょうし、どちらを優先するかは人によるでしょう。

ただ、おそらく多くの人は下記のような意見をお持ちなのではないでしょうか。

今、何をしたとしてもすぐに政治は変わらない、最低賃金だって数ヶ月で変わるわけではない。それなら自分がどうやって生きていくか?どのようにして稼いでカネを手に入れるか?を考えて、生き延びなければならない。そのように考える人の方が多いのではないでしょうか。

言い換えてしまえば、本当に切羽詰まっている人は将来の時給1500円よりも、目の前の時給1000円の仕事に手を伸ばすのです。切羽詰まっている人が10年20年後の社会のことを考え、デモに参加したい!と考える余裕があるでしょうか?それよりもまず今日を生き抜くことを考えるんではないでしょうか。

もしかしたらデモに参加できるということはそれだけで切羽詰った状態ではなく、余裕のある状態なのかもしれません。だからこそ他の人のためにとか、将来のためのことを考えられるのかもしれません。余裕のない人こそがデモを見て「余裕のあるやつらが何かしているよ」と思っているかもしれません。

私としては個人的に余裕がない・お金がないというなら「働いたらいい」とアドバイスするでしょう。特に若い人に対しては。その方が個人の状況を良くすると思っています。