脱サラ農業起業で年収2千万、週休5日は実現可能か?

畔柳 茂樹

(編集部より)旧態依然とした農業界に異業種から新風を吹かす挑戦者が増えています。その一人、大手自動車部品メーカーから異色の農業転身をした起業家、畔柳茂樹氏の連載スタートです。


農業に転職したら年収が2ケタ下がる?

大手企業の管理職の座を捨てて未経験の農業に挑戦する――そう宣言したときには皆に「正気か!?」と言われたものです。「年収が2ケタ下がるぞ」とも。

しかし、実際に脱サラし「ブルーベリーファームおかざき」という観光農園を立ち上げてから10年経った今、私の年収は下がるどころか2千万円にまでアップしています。それだけでなく、昼も夜も働きづめだった管理職時代からはとても考えられないことに、農園をオープンするのは1年のうちたった60日あまり、それ以外のシーズンはほぼ週休5日という悠々自適な暮らしを実現しているのです。

連載の初っ端からタイトルの答えが出てしまいましたが、つまり、脱サラ農業起業で年収2千万、週休5日の生活は実現可能です。しかも、私にだけ特別な才覚があったわけではなく、やり方さえ知れば誰にでもできる可能性があるのです。

うつ病寸前だった大企業の会社員時代

まるで夢物語のようだと思われるでしょうか。

実のところ、20年勤めたデンソーという大手企業の管理職で年収1千万円というポジションを手放し、イチから農業をはじめるという決断に至るまではかなり悩みました。気持ちが揺れ動き、葛藤して苦しみぬきましたし、周りからずいぶんと止められもしました。

大手企業の管理職というと恵まれた環境だったと思うかもしれません。しかし、現実には自分のプライベートな時間はほとんどない、余裕のない生活でした。

毎朝、殺伐とした満員電車に揺られ、社内を見渡してもあこがれるような理想の上司はまったく見当たらず、中間管理職ゆえ上司と部下の顔色ばかりうかがって、先に進むほど狭くなる道を歩いているような感覚。

自分を責めて苦悩する日々が続き、このままでは自分が壊れてしまう、うつ病が他人事ではない、そんなところまで追い込まれていたのです。

とうとう未経験の農業へと飛び込んだ

そんな中、とうとう「組織に縛られずに生きたい」との想いが抑えられなくなり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで会社を辞め、夢だった農業に携わる生活を選ぶことを決意しました。

そうして、一度しかない人生、どうせやるなら大好きなことを仕事・ライフワークにすると覚悟した瞬間、狭くて暗かった視界がいきなり180度開けたのです。それまで抱えていた不安がウソのようにすべて期待に変わりました。

新たな仕事に選んだのが、なぜ農業だったのか。もともと私は、子どものころから動物や昆虫、植物を育てることが大好きで、その成長を見守ることにこの上もない喜びを感じました。だから農業のキャリアもなく、まったくの異業種参入ではありましたが、農業で起業することになんの迷いもなかったのです。

とはいえ、この時点では、脱サラ起業の目的は、“お金”ではなく、明らかに“自由”を手に入れることでした。

農業はまったくの未経験ですから、当然、はじめからトントン拍子にコトが運んだわけではありません。農業大学に通って勉強しつつ、実際に全国の農家に足を運んで直接学びながら、自分の進むべき道を模索していきました。

直接お客様の顔が見られる仕事がしたかった

具体的にどんな農業をするかは具体的にはまったく決まっていませんでしたが、「こんなことをやりたい」という方向性は3つありました。

1つ目は「お客様と交流できる」こと。

デンソーは典型的な「BtoB」の企業だったので、残念なことに20年間のサラリーマン生活でお客様から感謝の言葉をいただいたことがありませんでした。だから、脱サラしてなにもしがらみのない中で起業するなら、直接お客様の顔が見えて交流ができる仕事にすると決めていました。

2つ目は「人と地球にやさしい」こと。長女が子どものころから少しアレルギー体質であったこともあり、どうせ新しく始めるなら、ナチュラルでシンプルな地球環境に負荷のかからない農業にしようと思ったのです。

3つ目は、「目新しく、斬新」であること。従来型の農業では、先細りであることは間違いなく、この先立ち行かなくなる。そう考えると、時代の流れを先取りした先進的な農業にしようと思ました。それに、せっかくサラリーマンを辞めて農業をやるからには、自分が道を切り拓いていけるような新しいものにしたいという想いがありました。

提供;ブルーベリーファームおかざき

ブルーベリーとの衝撃的な出会い

この3つの方向性を踏まえ、いろいろと模索する中で出会ったのがブルーベリーです。それは衝撃的な出会いでした。

ブルーベリーといえば、小粒で酸っぱく、生食よりもジャムのように砂糖を加えて加工して食べるものというイメージではないでしょうか。私もそうでした。

しかし、ある農園で育てていたブルーベリーは非常に大粒で甘く、生食がもっとも美味しかったのです。そんなブルーベリーの姿を知った私は感動し、直感的に「これだ!」と感じました。

また、ブルーベリーは害虫に強く、農薬をほとんど使わなくても栽培が可能であること、強い抗酸化作用があり健康と美容の効果が期待される果物であること、世界需要、国内需要が年々安定して増えており将来性があること――これ以外にも実にたくさんのメリットがありました。

知れば知るほど、ブルーベリーとは未知の魅力がいっぱい詰まった21世紀の奇跡のスーパーフルーツだと感じ、その魅力に取りつかれていったのです。

スモール&コンパクトな農園経営を実現する3つの柱

しかし、ただ従来のようなブルーベリー観光農園を営むだけでは、先述のとおりの1年のうちの営業日60日あまりで売り上げ2千万円に至ることは到底できません。

「ブルーベリーファームおかざき」は、正社員は私だけで、1年のうちわずか60日ほどの営業期間中のみパートさんが10名ほど手伝ってくれるという小さな会社です。そんな私が、どうしておよそ従来の農業のイメージとはほど遠い優雅な農園暮らしを実現できたのでしょうか。

その秘密は、極めて生産性が高い農業を実現したこと。それを可能にしたのは、スモール&コンパクトな事業で生産性向上を追求していった末にたどり着いた「無人栽培」 「観光農園システム」「IT集客」の3本柱でした。

次回からは、拙著『最強の農起業!』(かんき出版)にもまとめた、この新しい農園の形について詳しくお話ししていきたいと思います。

(構成:山岸 美夕紀)

畔柳 茂樹
かんき出版

2017-06-07

 

畔柳 茂樹 (くろやなぎしげき)
農業起業家。愛知県岡崎市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。

愛知県岡崎市生まれ。早稲田大学卒業後、自動車部品世界No.1のデンソーに入社。40歳で事業企画課長に就任も長年の憧れだった農業への転身を決意。2007年、観光農園「ブルーベリーファームおかざき」を開設した。

起業後は、デンソー時代に培ったスキルを生かし、栽培の無人化、IT集客など新風を吹かせ、ひと夏1万人が訪れる地元の名物スポットへと成長。わずか60日余りの営業で、会社員時代を大きく超える年収を実現した。近年は観光農園プロデュースに取り組み、被災地復興事業として気仙沼にも観光農園を立ち上げた。これらの経歴・活動がマスコミで注目され、取材・報道は100回を超える。