自民党の石破茂前地方創生担当相が韓国の東亜日報のインタビューに応じ、慰安婦問題に関して「日本は韓国の納得を得るまで謝罪し続けるしかない」と述べたとする記事が東亜日報電子版に掲載されたことを産経新聞が報じ、波紋を呼んでいる。(2017年5月24日)
そこで、韓国語のオリジナル記事を入手し、全文を和訳して内容を確認したうえで、石破事務所に電話して、改めて「謝罪発言」の真偽について質問したので、読者と共有したい。
東亜日報のインタビュー記事には慰安婦問題に限らず、石破氏の歴史観と国家観が凝縮されている。ポスト安倍を伺う有力政治家の歴史観と国家観を正確に把握することは、日本国民にとって極めて重要だと考える。
まず、問題の「謝罪発言」だが、これは産経が伝えるように、平成27年の日韓合意に関するものでは必ずしもなく、改憲や靖国問題について持論を語る中で、「慰安婦問題全般」に関して語られたものであることがわかる。これが問題の個所である。
――慰安婦問題などで韓日関係が難しくなっていることについては、どうお考えでしょうか。
「本当に難しい問題です。慰安婦問題について日本にも多くの意見がありますが、人間の尊厳、特に女性の尊厳を侵害したという点において、あってはならないことであり、謝罪すべきです。ただ、何度も歴代首相、日王まで謝罪の意を明らかにしても、韓国で受け入れられていないことについては不満も大きい。それでも、納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしょう。」
産経新聞の取材に対し、石破氏は、「『謝罪』という言葉は一切使っていない。『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」と述べ、記事の内容を否定したが、抗議はしない意向だという。
不可解な回答である。「ずっと謝罪するしかない」と「努力を続けるべきだ」では全く意味が異なる。まして、「ずっと謝罪するしかない」は記事のタイトルにまでなっているのである。もし誤報ならば、即座に抗議すべきではないのか?
念のため、石破事務所に再確認の電話取材をしたところ、以下の返答を得た。
○翌日の産経新聞のインタビューに答えているのが総てである
○今後とも反論・訂正などはしない
○韓国の新聞なので翻訳・通訳による間違いがある
○謝罪に関しては発言していない。産経に書かれた通りだ
○ネット等で叩かれていてもこれ以上何もしない
やはり、誤報だが、それを是正する処置は一切取らない、というのだ。是正措置を取らないのなら、「本当にそのように発言した」と受け取られても仕方がない。特に、この記事全文を読むと、その文脈から、そのように発言したと理解するのが自然だからである。
実際のインタビューは、憲法、靖国、日韓併合、北朝鮮ミサイル、出生率、消費税、安倍首相批判など多岐にわたっており、石破氏の「思想と政策」が凝縮されている。その文脈で読めば、慰安婦問題に関してのみ誤報したようには見えない。もし誤報ならば、断固として抗議すべきところだ。
仮に誤報だったとして、そのような誤報を放置することがどれだけ国益を損ない得るか、石破氏は理解しているだろうか。国家の謝罪は、友達同士の謝罪とはわけが違う。国家の謝罪は常に賠償を伴い、歴史上に「日本政府が認定した事実」という消すことのできない痕跡を残す。だから、国際社会の常識として、国家は滅多なことでは謝罪しない。謝罪に踏み切る時は、「いかなる責任を認め、何について謝罪しているのか」を明確にしなくてはならない。
韓国では、「日本が軍隊を使って、20万人の若い女性を自宅から拉致して性奴隷にした」と教育し、そのように碑文に書かれた慰安婦像を国内外に設置しようという活動が続けられている。石破氏はそのような、吉田清治なる詐欺師が創作し、朝日新聞がばら撒いた虚偽を事実と認め、謝罪を続けると言っているのか?「一般女性を家庭から拉致して性奴隷にした」と非難し、お金は受け取っても、ウイーン条約違反の慰安婦像を撤去するどころか新たに設置させ、政府間の合意は国民が心情的に受け入れられないと平気で嘯く国に、「女性の尊厳を侵害したという点から謝罪します」で解決するとでもいうのだろうか?
女性たちの境遇に同情を示すことと、罪を認めて謝罪することは根本的に違う。その違いが理解できない人は本来、政治家になるべきではない。
また、「改憲と関連し、韓国では日本が戦争できる国になろうとしていると懸念しています」という問いかけにたいし、石破氏は「日本が戦争のできる国になるのであれば、太平洋戦争の反省が前提にされなければいけません」と答えている。「戦争ができる国」とは何なのか?防衛戦争ができない国に国が守れるはずがないのだが、このような曖昧な言葉の使い方は野党の専売特許で強い違和感がある。そして、石破氏にとっての「太平洋戦争の反省」とは何なのだろうか?石破氏は続ける。
「日中戦争、太平洋戦争、1945年広島原爆と敗戦… 200万人が犠牲になりました。なぜ戦争を開始したのだろう。なぜ途中でやめなかったのだろう。正しく検証し、反省しなければなりません。当時の政府、陸海軍のトップたちは勝つことができないことを知りながらも、雰囲気に流され戦争に突入しました。当時のマスコミをはじめ、誰も反対していないことも大きいです。誰も真実を言いませんでした。」
そのようなことへの分析と反省は確かに必要だが、石破氏が想定する戦争とはいったいどのような戦争なのだろうか?日本が絶対に必要としているのは自国を防衛する戦争の遂行能力だけであることは自明の理だ。自衛隊が法的には警察の延長でしかなく、がんじがらめで満足に自力で防衛もできないことは、軍事オタクの石破氏が一番よく知っているはずだが、いつになったら日本は自国を守れる普通の国になれるのだろうか?それ以上のことは必要ないのである。
さらに石破氏は靖国神社に関連してこのように答える。
「若いころは何も知らずに参拝しました。しかし、靖国神社の本当の意味を知っているので、今は行けません。国民を騙し、天皇も騙して戦争を強行したA級戦犯の分祀が行われない限り、靖国神社は行くことはできない。天皇が参拝できるようになれば、行こうと思います。」
前述の太平洋戦争への反省とは、国民も天皇もいわゆるA級戦犯と呼ばれる20数名の人々に騙されたことへの反省を意味しているのか。当時の指導者に様々な責任があることは当然だが、指導者の責任と戦争犯罪は違う。天皇も戦犯として裁かれる可能性があった。それらA級戦犯、すなわち、平和に対する罪に問われた人々の責任は、日本国民の手によって検証され裁かれたのか? 占領軍が定義するA級戦犯に日本中が騙されたことにして、本当に反省したことになるのだろうか?
この後も、安倍批判、消費増税へと進む。石破氏はこれまでも折につけ、自らの歴史観や国家観を語っては来た。しかし、この韓国メディアのインタビュー記事を読めば、改めて石破茂という「安倍後を窺う」有力政治家の本質が簡潔かつ明確に理解できる。
石破氏は、なんら訂正しない、と明言しているのだから、ここに氏の政治思想の全てが正確に反映していると言っても過言ではないだろう。日本の将来がかかっているのである。記事の一部分を抜き出すのではなく、全国民が全文を熟読すべきだと考える所以である。
山岡 鉄秀(やまおかてつひで)
公益財団法人モラロジー研究所研究員