2017-03-25
朝鮮半島危機は、Xデーが少し遠のいた感はあるが、これからも激しい情報戦が続いて行く中でどう本質を見極めればいいのか。3月からアゴラ執筆陣に加わった著者のようなインテリジェンスのプロの目の付け所は興味深い。本書の冒頭でも、暗殺された金正男氏の長男、金漢卒氏を支援している「千里馬民間防衛」という団体の千里馬の英語表記が、北朝鮮式の「Chollima」ではなく、「h」と「o」の間に「e」を入れる韓国式の「Cheollima」であることに目をつけ、韓国側が関与している可能性を指摘するあたりは、やはり一目置かせる。
謎の多い北朝鮮だが、張成沢をはじめとする高官を容赦なく次々に処刑する金正恩は、祖父・日成、父・正日とも違う異様な残忍さでその人物像は、外から見ていても特に計りかねる。著者と佐藤優氏との対談で多角的に分析しているが、金正恩はその思想原理を、父の代まで遺訓として継承していた「金正日主義」から「金日成・金正日主義」に改めているという。
一見すると、祖父の思想に父のそれを重ね合わせただけのようだが、どうやら父の代までは踏襲していた祖父の「金正日主義」からの路線転換を打ち出したもので、要は「俺流」で物事を決めていくのだと、思想的にも宣言しているわけだ。これでは、側近の処刑や実の兄の暗殺、瀬戸際外交など専横の極みとなるのは当然のことで、ただでさえ何を考えているのかわからない若き独裁者への恐怖感が一層増してくる。
本書は韓国大統領選前に執筆されたものだが、文在寅氏の当選を見越し、北朝鮮に融和的な韓国左派の厄介さを厳しく指摘している。左派議員の中には議会やマスコミ報道で金正恩が呼び捨てにされると、「金正恩委員長と呼んでください」と言う輩もいるというから、その深刻さがわかる。
そうした左傾化は、北朝鮮側の巧妙な工作でもたらせされてきた。自国を訪れた韓国人らを巧妙なハニートラップに引っ掛けて転向させる古典的な手口は健在。だが、北朝鮮をアナログと小馬鹿にしがちな我々が思う以上にサイバー工作は手強い。
本書刊行後の5月にも、欧米が被害にあったランサムウェア攻撃で北朝鮮の関与が取りざたされ、その実力に驚いたものだが、著者によると、北朝鮮は6000人以上の“サイバー戦士”を擁するのに対し、韓国側は政府、警察、軍の専門人材を結集しても2900人程度と後手に回っている。北朝鮮は先の朝鮮戦争で、日本に駐留していた米軍の参戦により、韓国制圧目前だった戦線を押し戻された教訓から、韓国と、有事の際の後方支援基地になる日本との“離間の計”に注力している。サイバー戦士たちは世論工作で竹島や慰安婦問題で反日感情を煽ってきたのだという。
もちろん、歴代の政権が支持率浮揚に反日感情を利用してきたことは事実なので、韓国に不信感を持つ日本人の心証を変えるのは容易なことではない。これに対し、親日家である著者は「建前では反日だが、本音では日本が好き」という韓国人の複雑な感情にも触れる。日韓合意直後には韓国のテレビ局の世論調査で過半数が評価していたことも指摘する。そして、国内の不満を反日感情にすり替える愚かさからの卒業を同胞に呼びかける一方、「嫌韓」を煽る日本人に対しても、(北朝鮮による)日米間「離間」の策謀にはまっているのだと、さりげなく警鐘を鳴らす。
インテリジェンスのプロである著者が冷静に見極めるように、日韓双方の大衆が互いに複雑に絡み合った国民感情を整理するのは容易なことではないだろう。ただし、これまで形成されてきた世論の裏には、北朝鮮の策謀による影響が少なくないこともまた事実だ。それらの挙証を説得力のある形で積み重ねていくことができれば、北朝鮮に騙されることを恥じ入るような、プライドの高い日本の保守層の間で、もしかしたら韓国に対する認識を変えられるかもしれない。巧妙な情報戦の罠にはまらないためには、物事を複眼的に見る基本を忘れないことが何より重要なのだ。