【映画評】ローマ法王になる日まで

渡 まち子

2013年。アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、法王選挙(コンクラーベ)を前に自らの波乱に満ちた人生を振り返る。1936年にイタリア移民の子として生まれたベルゴリオがイエズス会に入会したのは20歳の時。神の道を歩むことを決めた彼は、やがて35歳の若さでアルゼンチン管区長に任命される。だがアルゼンチンは、軍が国を制圧し、1976年に誕生した軍事独裁政権によって暗く過酷な時代を迎える。ベルゴリオは大きな試練にさらされながら、弱い立場の民衆に寄り添って活動を続けるが…。

現ローマ法王フランシスコの知られざる激動の半生を描くドラマ「ローマ法王になる日まで」。サッカーやタンゴを愛する庶民的な人柄と、ローリングストーン誌の表紙を飾って、ロックスター法王と呼ばれるなど、民衆を熱狂させるフランシスコが、いかにして法王になったのかをできるだけ史実に沿って描いている。宗教界のトップの人生を描くというと、コ難しく、説教くさい映画を想像するかもしれないが、本作は、現法王がブエノスアイレスで活動した若き日のエピソードを通して、ビデラ軍事独裁政権という暗黒時代を耐えたアルゼンチンの近代史を描く、骨太の社会派ドラマに仕上がっている。多くの市民がいわれのない嫌疑をかけられ、捕らえられて拷問されたあげく“行方不明”となって命を奪われた恐ろしい時代は、カトリックにとっても苦難の時代だ。ベルゴリオは軍部と教会の2つの勢力の狭間に立って、どうすれば信仰を守り、人々を救えるかを模索しながら、同時に自分自身が生き延びていくため奔走した。

貧しい人に寄り添い続けた彼は、確かに偉大な人物だが、映画はベルゴリオを単なる英雄としては描いていない。恐怖や圧迫におびえ、悩み、弱ささえさらす彼は、時には間違いもおかすのだが、過ちを認める強さを持っている。苦悩し続けたからこそ、ドイツで出会った“結び目を解く聖母”の教えに救われたときの涙は、感動的だ。新法王になってからは、古い慣習を打ち破り、自分に関係する教会の慣例を質素にし、貧しい人々への奉仕活動や、環境問題、人種差別、時には政治や経済にも言及し、世界中の注目を浴びている。ダニエーレ・ルケッティ監督は、そんな宗教界のカリスマを、自分よりもはるかに大きなものにぶつかっていった勇気ある一人の人間として描いた。そのことが、激動の時代を生き抜いた彼の人生に陰影を生み、深い感銘を与えてくれている。
【60点】
(原題「CHIAMATEMI FRANCESCO – IL PAPA DELLA GENTE」)
(イタリア/ダニエーレ・ルケッティ監督/ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ムリエル・サンタ・アナ、他)
(波乱万丈度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月14日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。