大学の「選択と集中」こそが急務

荘司 雅彦

昨今、高等教育の無償化が話題になっています。しかし、大学の学費無償化については各方面から反対意見が続出しています。その根拠として、「勉強する意欲のない子供」たちを無償で大学に進ませても有害無益であるという指摘があります。

2014年度の高校中退者は、全体の1.5%にあたる5万3403人に上っています。その中で、「学業不振」「授業に興味がわかない」「もともと高校生活に熱意がない」という理由で”私立高校”を中退する人数が4449人もいます。

ちなみに、「経済的理由」を理由とする”私立高校”の中退者は957人です。つまり、授業料が高い”私立高校”で、「経済的理由」で中退する生徒の4倍以上の生徒が「学業不振」「授業に興味がわかない」「もともと高校生活に熱意がない」という理由で中退しているのです。

このように、高等学校の段階で、「勉強する意欲のない子供」の中退者の方が「貧困」を理由とする中退者より遥かに多いのが実情なのです。国公立高校は授業料無償化がすすんでいますから。このように、授業料無償や授業料補助があっても、高等学校の勉強をする意欲のない生徒がたくさんいるのです。

ところで、大学の学費無償化を進めようとする背景には、次のような事情があるものと推測されます。
1990年以降、大学院重点化政策が実施され、大学院の定員が大幅に増加しました。その結果、就職すらできない修士や博士が大量に生み出され、受け皿として新設大学が大量に作られました。

監督官庁である文科省としても”天下り先”が増えるので、大学側との利害が一致したのです。更に、従来なら大学に進学する学力のない子供を持つ親も喜びました。

しかしながら、その反動で国公立大学の学費は急騰してしまいました。予算に限りがある以上、多くの大学や大学院に補助金をバラ撒いた分、国公立大学の学費値上げで補填する必要があったのです。一昔前であれば、それほど裕福な家庭でなくとも、地方から都市部の大学に子供を進学させることができました。広く浅くという補助金のバラ撒きがなかったので、私立大学の授業料もかなり安く抑えられていました。

その結果、英語を「be動詞」から教えなければならない大学生が増えているようです。少し前、「分数ができない大学生」が話題になりましたが、今や分数のできる大学生の方が少数派ではないかと思ってしまいます。
「大卒」という条件を子供に与えて喜んでいた親たちも、大学名で門前払いをする”学歴フィルター”によって子供の就職がうまくいかず、かえって悩みが深くなっています。

「商業高校や工業高校を卒業して地元の信金や大企業の工場に就職した方が、下手に大学生活を送らせるより良かった」と悔やんでいる人たちもいます(今では、信金や工場も大卒が多いのかもしれませんが…)。

教育費や医療費が無料で有名なオランダでも、高等教育に進むには一定の学力が必要で、学業に向かない生徒は職業訓練校に行きます。

大学教育の質の低下も、学費無償化を無意味なものにしている大きな原因です。例えば、法科大学院よりも予備試験対策の資格試験予備校の方が、概ね良質な教育サービスを提供しています。受講生に不人気であれば次の講座が持てないので、講師が必死になるからです。身分保障をされた大学院の教授とは緊張感が全く違うのです。

大学院の定員急増で広き門をくぐった挙句、民間企業等に就職できないレベルの教員の受け皿として作られた大学。そのような大学にほぼ無試験で入学してくる学生。4年間のレジャーランドのために血税を投入するのは大間違いです。

学費無償化にするのであれば、大学数と学生数を大幅に絞り込む「選択と集中」を行い、意欲と能力のある学生たちだけのために実施すべきでしょう。

更に、意欲と能力のある学生のニーズに応えるべく、大学教員の強力な身分保障をなくし、2年契約くらいで実業界等からもどんどん有能な教員を採用すべきです。もちろん、相応のスキルと学識があり有意義な教育ができる教員については(出自を問わず)契約更新をすればいいのです。

日本の大学のランキングの低下傾向を止めるには、大胆な改革をするしかありません。授業料無償化の前提として、「選択と集中」は欠かすことのできないプロセスだと思うのですが、みなさんいかがお考えでしょう?

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年6月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。