センターの職員5人が、点検作業をしていた。そして、核燃料物質の貯蔵容器を開けたところ、中のビニール袋が破裂。どうしてプルトニウムが、そんなにずさんな保管をされていたのか。僕は、猛烈な憤りを覚える。
そんな折も折、事故発生から3日後の6月9日、「日経新聞」の1面に、「原発新増設を明記、経産省が提案――エネ基本計画」という記事が載った。「エネ基本計画」とは、国の「エネルギー基本計画」のことだ。資源の乏しい日本という国が、どんなエネルギー政策をとるか、その柱となるものである。
この見出しを見た瞬間、僕の怒りがさらに増したことは言うまでもない。国は原子力発電に対して、あまりにも無責任すぎる。
僕は、反原発主義者ではない。なんでも原発に反対する、という考えではない。だが、70年代から原発の取材を続けてきた結果、はっきり言えることがある。それは、こんな無責任な国に、原発を運用する資格も、建てる資格もないということだ。
小泉純一郎元首相が「反原発」に転じたきっかけは、フィンランドの「オンカロ」という、使用済み核燃料の貯蔵施設を見学したことだ。オンカロは、使用済み核燃料を最終的に地下520mに埋める。世界で唯一存在する、高レベル放射性廃棄物の最終処分場だ。いわゆる「地層処分」と呼ばれる方法である。
その見学の際に小泉さんは、使用済み核燃料が無害化するまで、「10万年かかる」と聞かされた。つまり、原発を作って核のごみを産み出しておきながら、「無害化まで10万年」かかる。なんという人間の傲慢さだろうか。小泉さんも、骨身にしみたことだろう。
しかし、フィンランドはこうした施設を作っただけまだましだ。日本は最終処分場を作ることもできず、約1万7000トンという大量の使用済み核燃料を抱えているのだ。持って行くところも埋めるところもない。それでも国は、「原発新設」を望んでいるのだ。
今回の事故の原因であるプルトニウムは、高速増殖炉「もんじゅ」の新燃料を開発するためのものだったという。その「もんじゅ」は事故続きで、結局は廃炉にしている。しかも、である。「もんじゅ」は原型炉だったのだが、経産省は次に実用炉の一歩手前である、「実証炉」を作ろうとしているのだ。無茶苦茶ではないか。
そもそも「もんじゅ」は文科省の管轄、次の実証炉は経済産業省の管轄となる。こうした「縦割り」の弊害と、実質的な原発の責任者がいないことが、また僕を憤らせるのだ。
誰も責任を取らない。だからではないが、経産大臣に「原発」について番組で語ってもらおうとしても、「ご勘弁」と逃げる。誰も触れたくないのだ。責任をとりたくないのだ。そんな状態のままで、「原発新設」など許されるわけがない。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2017年6月16日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。