イスラム教が支配するエジプトで、人口9150 万人の1 割を占めるとされているキリスト教のコプト正教会が過激派テロ組織イスラム国の攻撃の標的にされている。
昨年12 月、今年4月と5月とイスラム国によるコプト教会への爆破事件で100人近くが犠牲者となっている。この25年間でコプト正教徒の犠牲者は凡そ130人とされているが、その大半がテロ組織の活動が活発になったこの僅か2-3年での犠牲者である。(elespanol.com)
そもそもコプト正教会とは福音記者マルコが紀元1世紀にエジプトのアレクサンドリアで始めた布教活動がその発祥だとされている。少数派ということで、存続する為にコプト正教会では常にエジプトの権力者の側につく形で存続を確保して来た。
コプト正教会はムバラク大統領、ムスリム同胞団のムルシー大統領、シシ大統領と権力をもつ側に常についた。ムバラク大統領の政権下で外相から国連の6代目事務総長(1992-1996年)になったガリ氏もコプト正教徒である。
エジプトの場合、過激テロ組織は特にシナイ半島をベースに組織を広げている。Wilayat Sinaというのがシナイ半島で勢力を張っている過激テロ組織で、彼らはイスラム国の分派だと称している。この分派がコプト正教会へのテロ活動を行っているのである。
コプト正教会のタワドロス総主教は今回の連続テロ攻撃に対し、「コプト正教徒の団結心に変化は起きない」と表明しているが、信者の間では自分たちはイスラム圏の中では受け入れられない市民だと強く感じさせられるようになっているという。特に、祈りを捧げる教会の安全が保障されないことに強い不安を感じているそうだ。(elconfidencial.com)
シナイ半島と国境を接するイスラエルにとっても、このテロ組織を危険視している。
5月にテロ攻撃を受けた際には、それがイスラム国による犯行だという声明を待つことなく、シシ大統領はテロリストの訓練所があるとされていたリビアの都市ダルナを空爆して、その訓練所を壊滅させたという。しかし、そこではイスラム国はアルカエダの前に既に敗退して、そこはアルカエダの支配下になっているということはシシ大統領も熟知していたはず。それを承知で空爆したことは意味不明だとされている。
寧ろ、この空爆はコプト正教会に対し、シシ大統領が味方についているということをジェスチャーしたものではないかと憶測されている。
この空爆にはリビアで勢力を張っているハリファー・ハフタル退役将軍が率いる民兵組織の航空部隊も参加したことが明確にされている。ハフタルはガダフィ軍の元大尉で、しかもCIAの諜報員でもあった。ガダフィの二代目に成るのではないかと懸念されているが、アラブ諸国、ロシア、米国などから支持を集めている人物でもある。(arabia.watch)
コプト正教徒という少数派を味方につけているシシ大統領であるが、その一方で、2013年にムルシ大統領を解任させて、彼を支えていたムスリム同胞団に対しては依然厳しい弾圧を続けている。この同胞団のメンバーだったとされている凡そ4000人が収監、あるいは行方不明になっているというのだ。そして、今も老若男女、年齢を問わず、罪状もなく逮捕されて勝手に犯行をでっち上げて収監して拷問などが続けられているという。(elconfidencial.com)
つい先日からカタールとの断交にエジプトも加わったが、カタールがムスリム同胞団を支援しているというのが断交の理由のひとつでもある。
エジプトでテレビ出演などして人気を集めていたアムル・ハンザーウィーは反政府派として見られるようになり、逮捕されそうになったのを感じて国外に脱出。現在カーネギー国際平和財団の政治主任として活躍している。その彼が「ムバラクは独裁者であったが、シシは犯罪者だ」と述べたという。
「ムバラク政権下では表現の自由が認められる空間があった」「政治情報も交換できた」しかし、「シシの元ではその空間も閉鎖されている」「ムバラクは独裁者であったが、暴力に訴えることは慣例にはなっていなかった」「今は、弾圧が当たり前になり、犯罪が制度化している」と指摘したそうだ。
同氏によると、弾圧によって5万人が収監され、数百人が消息を絶っているそうだ。それでも、大学やジャーナリストそして医者らの組合連合は抗議活動を絶やさず活動していると彼は指摘している。(internacional.elpais.com)
現在のエジプトは嘗て中東をリードした勢いはない。社会統制された現在のエジプトには自由を謳歌するという機会はなくなっているという。
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白石 和幸(しらいし かずゆき)
貿易コンサルタント
1951年生まれ、広島市出身。スペイン・バレンシア在住40年。商社設立を経て貿易コンサルタントに転身。国際政治外交研究や在バルセロナ日本国総領事館のバレンシアでの業務サポートも手掛ける。著書に『1万キロ離れて観た日本』(文芸社)