「都議選経験が豊富」な町のパン屋店長が9回目の挑戦

7月に迫った東京都議会議員選挙に名乗りを上げている世田谷区桜上水にある老舗パン屋さんの店長、後藤雄一氏。大きな政党や組織のバックアップのない、いわゆる「インディーズ」候補ですが、過去2001年、2005年と2回当選しており、落選した直近2回も法定得票数を大きく上回る票数を集めています。

その強さの秘訣と政策に、後藤氏が経営するパン屋さん『ウッドペッカー』で迫りました。

-選挙ドットコム ライター宮原(以下、宮原)
「行革110番」の活動はどのようにして始まったのですか?

-「行革110番」後藤雄一代表(以下、後藤氏)
パン屋の仕事をやりながらラジオを聞いていた時に、公の仕事をしている方々の給料がとてもよく、退職金が3,000万円近くあるという話を聞き、区役所に調べに行ったら本当にそうで、パン屋の広告にコラムで書いたのが活動の始まりです。その後、官官接待などの不正追及のため、情報公開や訴訟を続けています。

-宮原
大きな組織の支援もなく、独自の活動で様々な不正を追及してゆく、という後藤さんの行動力の原点にあるものは何ですか?

-後藤氏
2つあると思います。大学卒業後、凸版印刷社で雑誌「ニューズウィーク」の営業に関わっていました。その時にウォーターゲート事件で若いジャーナリストが大統領を失脚させてしまったという状況を目の当たりにしたこと。それから私がパン屋の仕事を朝から晩まで一生懸命している一方で、公の仕事をしている人たちは休みも多くすごい給料をもらっている、ということへの怒りです。

-宮原
どんなきっかけで議員になることを志すに至ったのですか?

-後藤氏
活動を始めて3年くらいすると、区役所に目をつけられてしまい、情報を出してもらえなくなって活動が滞るようになったので活動をやめることを考えていました。一方で活動に対してカンパが集まってしまい、その使い道に困っていまして、そこで「選挙に出て、負けたのでやめます」となれば格好がつくと思い、一緒に活動していた大庭正明さんが世田谷区議に、私が区長に立候補しました。

そこで負ける予定だったのですが、大庭さんが最下位で当選してしまったんです(笑)。
そこから自力でやっていた市民運動だったのが一変しました。大庭さんが議会活動で調べた情報を元に、私が監査請求や裁判で追及するというやり方で、カラ残業、カラ出張などありとあらゆる問題を顕在化させてきました。
その後、私が都議に出馬することになって、何度かの挑戦の末に当選しました

-宮原
都議会議員に再び当選したら、どんな活動をしていきたいですか?

-後藤氏
小池知事の主張している議会改革は進めて行くべきだと考えています。その中で、改革を妨害する都議会自民党や都庁の役人の手の内がわかっている私が議会に入ればすごく大きなパワーになると思っています。

また、都議会議員の政務活動費の報告書をインターネットで公開したいと考えています。そうすることで議員に、有権者から見られている、という意識をもたせて不正を未然に防ぐことにつながります。

-宮原
かつて都議を2期務めていた際に後藤さんが残した実績を教えてください。

-後藤氏
たくさんあるのですが、例えば選挙活動での選挙カーのガソリン代。それまではどの候補者も満額請求で公費負担にしていたのですが、検察庁に告発して内部監査をさせ、実費負担に変えさせました。

また都立府中病院の検査課長が寝ている様子と冷蔵庫にお酒が入っている写真が私の元に内部告発で寄せられてきました。それを受けて現地に調査に行ったら実際にお酒があったので問題視したところ、今では都立の病院の控え室にお酒を置くことは禁止になりました。その後、議会で強引な調査を問題視されたこともありましたが、一般市民ではなく議員だったのでできたことだと思います。

-宮原
築地の移転についてはどのような意見をお持ちですか?

-後藤氏
現職の頃、豊洲に視察に行きました。その際、実際に自分で穴を掘ってみたところ真っ黒な水が染み出してきました。埋立地ですので、地震が起きて液状化現象が起きたら大変なことなので、豊洲には行かないでほしいと思っています。

-宮原
過去2回の選挙では残念な結果に終わっています。それでも今回、都議選に挑戦するのはどういった思いからなのでしょうか?

-後藤氏
選挙に関して言えば、大きな組織に属していないので、どうしても限界があります。
ただ、豊洲の盛り土の問題にしても、126人いても誰もわからなかったわけですが、私が議会にいたら必ずチェックして追及できていたはずだと自負しています。私が勝ったら都民の得になりますよ、ということを言いたいですね。

-宮原
最後にメッセージをお願いします。

-後藤氏
今回の選挙で本当にやりたいことは、無駄遣いを暴いて、無駄なお金を取り戻し、高齢者と子供のために使う政治を進めたいと思っています。そうすることでみんなが明るく、安心安全な社会を作ってゆけると確信しています。

(ライター 宮原ジェフリー)