あのガーファンクルが戻ってきた

アート・ガーファンクルのコンサートに行ってきた。18日夜のウィ―ンのコンサートハウスでのチケットが2枚手に入ったのだ。会場に19時半ごろ到着した時、まだ空席が目立っていたが、20時になると会場は約1200人のファンで満員となった。

▲ガーファンクルのコンサートのチケット

サイモン&ガーファンクルは1960年代、70年代に青春時代を生きた人間にとっては忘れることができない米のフォークロックポップ界の2人組で優しさと哀愁を含んだメロデイーと歌詞は当時の若者たちの心を捉えた。

▲コンサート最後の場面(2017年7月18日、ウィ―ンのコンサートハウスにて撮影)

ハンガリー系ユダヤ人のポール・サイモンとルーマニア系ユダヤ人のアート・ガーファンクルの歌は世界を感動させ、「明日に架ける橋」や「サウンド・オブ・サイレンス」など名曲が次々と発表された。

ガーファンクルが「スカボロ・フェア」を歌った時だ。途中、歌えなくなったのか、黙ってしまった。ガーファンクルは「この歌はちょうど50年前の歌なんだ。想い出が一杯詰まっていてね。少々感情的になり過ぎちゃったのかな」と説明していた。

黄金の声と呼ばれてきたガーファンクルの歌唱力は変わらなかった。75歳の声ではなかった。高い声が会場を包む。ユダヤ教のシナゴークの合唱隊で歌って以来、サイモンと共に路上歌手として欧州を転々とした経歴を有する。ガーファンクルの自叙伝が今秋に発表されるというから、ぜひとも読んでみたい。

ガーファンクルは超満員の会場でサイモンと共に歌った時代のことを思い出すかのように、コンサートハウスの会場のファンたちを見まわしていた。会場は当方のような年配の男性や女性のファンで一杯だ。好きな曲が飛び出すと、「ワ―」といった歓声と拍手が自然に飛び出す。

会場での写真撮影やビデオ撮りは禁止されていたので、ガーファンクルの懐かしい姿を読者に紹介できないのは残念だ。黒いシャツに黒いズボン、イスに腰掛け、時には立ち上がって19曲をギター伴奏とピアノ(+キーボード)演奏を背景に歌った。2回ほど声がかすれる部分もあったが、本人が言うように、神が与えた美しい声は健在だった。

時代は確実に変わった。ガーファンクルもファンも去っていった若き時代を懐かしむように、コンサートを共有した。しみじみとした雰囲気が伝わってくるコンサートは 大歓声のアンコールに応えたあと、 「さよならウィーンの友、さよならウィーン!」といって舞台から去るガーファンクルを会場のファンが立ち上がって歓声と拍手で見送り、夜10時前に幕を閉じた。

なお、ガーファンクルは今年11月6日の札幌を皮切りに、同月17日まで計7回のコンサートを予定している。日本のファンもガーファンクルに再会できるチャンスがある。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。