「独身制」について現場の司教の声

長谷川 良

ハンガリーのローマ・カトリック教会ヴァ―チ教区のミクロシュ・ベア司教(Miklos Beer)は、「既婚の男性も一定の教育を修了した後は神父として従事することを認めるべきだ」と主張している。オーストリアのカトリック通信(カトプレス)とのインタビューの中で答えたもの。興味深いことに、バチカン放送独語電子版も11日付で同記事を掲載している。

▲子供をフランシスコ法王に紹介する元神父(バチカン放送独語電子版2016年11月11日から)

司教は、「自分の教区には10の聖職者ポストが空席だ。これまでポーランドやインドから神父を呼んでその空席を埋めてきたが、このままのやり方では教区の運命は難しくなる」と指摘、「敬虔で立派な家庭を築いている男性たちに教会の運営を委ねるべき時ではないか」というのだ、司教はフランシスコ法王に自身の考えを伝えたいという。

独身制に関する現場の司教の声は貴重だ。これまでバチカン高位聖職者が独身制について教義に基づいた解釈を表現することはあっても、現場教区に責任を持つ司教が、「このままでは教会運営が成り立たなくなる」と危機感を表明し、既婚の男性にも一定の条件をクリアするならば神父への道を開くべきだという見解を明らかにしたのは珍しいケースだ。

カトリック教会の独身制については、このコラム欄でも何度も言及してきた。南米教会出身のフランシスコ法王は前法王べネディクト16世と同様、「独身制は神の祝福だ」という立場だ。ただし、「聖職者の独身制は信仰(教義)問題ではない」と認めている。換言すれば、聖書に基づくものではなく、あくまでも教会が決めた規約に過ぎない。

カトリック教会では通常、「イエスがそうであったように」という理由で、結婚を断念し、生涯、独身で神に仕えてきた。しかし、キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由が(聖職者の独身制の)背景にあったという。

ちなみに、バチカン法王庁のナンバー2、国務長官、ピエトロ・パロリン枢機卿は昨年、「ローマ法王フランシスコは聖職者の独身制の改革を考えていない」と独身制の見直し論を否定する一方、「聖職者不足は独身制とは直接関係はなく、人口減少、特に欧米社会の少子化に関連するものだ。例えば、婚姻が認められている聖公会も聖職者不足に直面している」と述べている。

婚姻していない神父が家庭持ちの信者たちの日々の諸問題を牧会すること自体、無理がある。愛は聖書の中の問題ではなく、日常生活の具体的な対応に関連する課題だからだ。バチカンはハンガリーのべア司教の現場の声に耳を傾けるべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年8月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。