反権力は国民に必ずプラスではない!保守・リベラルを超えて

松本 孝行

昨日公開されたアゴラジオをバスで聞いていましたが、そのとおりだなと頷くことが多々ありました。朝日新聞がなくなる日 – “反権力ごっこ”とフェイクニュースという新田さん・宇佐美さんの共著が出版されるようで、その宣伝と共に内容に触れられていました。詳しい内容はアゴラジオを聞いてみて下さい。

先日放送された朝まで生テレビで三浦瑠麗さんがおっしゃっていたこととも非常に近い部分があるかと思います。三浦さんは「保守もリベラルも定食でしか語らない。もっといろいろな意見があっていいはずだ」という主旨だったかと思われますが、その通りだと思います。

「保守定食」「リベラル定食」という決まりきった中身

三浦さんが語られている「定食」というのは「決められているメニュー」という意味です。例えば保守と言えば

  • 憲法9条改正賛成
  • 天皇は男系を死守

等の考えを持っています。

逆にリベラルだと

  • 脱原発
  • 憲法9条改正反対

等の考えを持つ人が集まっています。

つまり各陣営でみな金太郎飴のように同じ考えを持っている、持たなければならないと考えているのではないか?という主張です。「保守といえばこれ」「リベラルと言えばこれ」という凝り固まった考え方を三浦さんは「定食」とおっしゃったのでしょう

反権力に凝り固まってしまった朝日新聞

朝日新聞を筆頭とした、リベラルと言われる人たちの意見もまたこのような定食になってしまっています。特に今、朝日新聞を始めとするリベラルの方々は「反権力定食」一本槍です。森友学園なんてわかりやすくて、最初はあれだけ籠池氏を批判していたのに、急に反権力に使えそうだとなったら持ち上げ始めたりしました。

今は加計学園を安倍首相を攻撃する材料として利用しています。本来であれば地方の活性にも利用できて地方の所得や進学のハードルを下げることにも繋がり、リベラルが支援しそうなものです。しかし、反権力に凝り固まってしまうと、たとえ愛媛県にとってプラスになり、低所得者にとってプラスになることでも反対してしまっている状況です。これはアゴラジオでも宇佐美さんがおっしゃっていましたが、まったくその通りだと思います。

反権力であればそれでいい、中身は問わないという考え方はまさに「定食」であり、そのような考え方が国民にとってプラスになるとは到底思えません。モリカケ問題で半年ほど議論されてきましたが、我々の生活にとって何のプラスがあったでしょうか

保守・リベラルを超えた意見を個人が持つべき

反権力のためならなんでもする、そのためには間違った意見でも貫き通すという姿勢は支持できません。同様に保守だからこういう考え方を持つべき、リベラルだからこういう考え方を持つべきという固定観念も思考停止でしかありません。

もっと個々人が保守や革新を超えた意見を持つべきではないかと思います

そういう意味ではアゴラは保守よりと言いつつも、幅広い論客が自分自身の考え方を持って発信していると言えるのではないかと思います。例えば私や尾藤克之さんは福祉・ボランティアなども行っており、障害者支援・地域活動なども積極的に行っております。こういった活動はリベラルな方々と親和性の高い活動を行っているメンバーも数多くいます。

今後は保守だから、リベラルだから、反権力こそメディアのあり方と凝り固まった考えではなく、是々非々で情報発信していくべきです。三浦瑠麗さんがおっしゃる定食から抜け出し、意見が一致する場所を見出していく必要があるのではないでしょうか。

特にマスメディアは保守かリベラルかではなく、大局に立った報道をしてほしいと切に願います。反権力も大事ですが、反権力に凝り固まった報道姿勢は国民にとってプラスであるとは言えないのではないでしょうか。