筆者の出身地、右京区・嵯峨がかつての都・洛中から外れた「洛外」であることに対する鬱屈がねっちゃらねっちゃら塗り込められています。
ぼくも修学院や山科ていう京都の洛外出身です。この本には山科の男から見合い話が来て落胆する洛中の女性が登場しはります。ぼくも洛中の女をがっかりさせることがあったんかもしれませんけど身に覚えはありません。筆者ほどの被差別感を被ったこともおません。
それは元の(母の)実家が洛中の西陣で、平安京の大内裏、太閤さんの聚楽第の中やさかい、そこに心のよすがを求めていたからかもしれません。ところがこの本には、新町御池の人が「西陣ふぜいが生意気に」と言わはる場面もあります。こうなると今の御所以外はみな敗者いうことになります。おお、こわ。
お寺さんの写真を使うのに納金が必要で、出版社は金銀苔石(金閣寺、銀閣寺、西芳寺、龍安寺)に一枚20万円を払うならわしがあるとされています。ぼくも同じ話を出版社のかたに聞いたことがあります。法的に争うてもお寺さんが勝つとは思えへんので使てまえばええんですが、お寺さんから「バチ当たる」言われたそうです。京都では法律よりバチのほうが怖い。おお、こわ。
ほんでも、なんか、ちゃう。もっと芯の京都のこと、聞きたい。
京都をネタにした本は無数にあります。
これまでもいくつかメモしました。
◯梅棹忠夫の京都案内
芸妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた。
市民はみんな比叡山にただのぼるためにのぼった。
東京、大阪では「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば「学生はん」。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/03/blog-post_11.html
◯梅棹忠夫先生の「京ことば」
「してごらん」は「しとおみ」、「おいで」は「おいない」、「おくれ」は「おくない」。
「おい、タバコくれ」といういいかたは、京都では絶対にありえない。
「すんまへんけど、タバコおくれやす」となる。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/03/blog-post_18.html
◯松田道雄さんの京都追憶
電車が日本で初めて走った町。初めて小学校ができた町。
京の女は小便桶に「立ち小便」する。
スカ屁した犯人を決めつける遊びがある。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/03/blog-post_25.html
◯加藤秀俊「メディアの発生」
岡崎法勝寺にあった九重の塔は80m、義満が建てた相国寺の七重の塔は109m。
現存する東寺五重塔は55m。
南北朝~室町の京都は高層都市だった。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2014/06/blog-post.html
これらは京都学派がお元気やったころの大御所による書で、60年安保前の文章もありますさかい、懐古に過ぎるかもしれません。その点、入江敦彦さんのシリーズは最近の空気を伝えてくれます。
入江さんにお目にかかったことはありませんが、同い年で、同じあたりに生息していたようで、そやったそやったいうネタをようけ残したはるんです。「京都人だけが知っている」「やっぱり京都人だけが知っている」「イケズの構造」「怖いこわい京都」、2001年から07年までの4冊をまとめ斜め読みメモしてみまひょ。
「河波忠兵衛はんのCM」(「墓のない人生は、はかない人生」)。寂しい「比叡山のお化け屋敷」(出口から入るとタダです)。深泥池の東、「狐坂のヘアピンカーブ」(入江さんの父上はクルマで下らはったそうですが、ぼくらはチャリで爆走してました)。あのころ、あのへんにおったもんにはピクピクくるネタです。
出町柳「ふたば」の豆餅。「力餅食堂」や「大力食堂」の麺とメシ。そして一乗寺界隈の京都ラーメン、「天下一品」、「珍遊」、「天天有」。パッチギの街で、そんなんこってり食べて大きなりました。たこ焼きは「三個十円」でした。「人口密度に比べ数が異常に多い」銭湯都市で、夕方は岡八郎さん花紀京さんら京都花月のポスターが貼ってある風呂屋に通てました。
街に出るようになりました。純喫茶「築地」ではバイトを断られました。ライブハウス「磔磔」には何度も出演させてもらいました。本屋都市を代表する河原町の「駸々堂書店」や「京都書院」は90年代にバタバタ倒れましたが、今も「恵文社一乗寺店」は「デザイン、建築、映画関係は他の書店を寄せつけない」ですし、「下鴨納涼古本まつり」は名作アニメ・四畳半神話大系の冒頭にも登場します。
京都もんにはジュワっとくる固有名詞のパレードです。
京都は、壊され続けてきました。平清盛木曽義仲源頼朝義経足利尊氏織田信長豊臣秀吉徳川家康新選組。「よそさん」から壊滅的な打撃を受けてきました。壊したり建てたりの1200年やったんどす。ずっと壊れてない奈良とは呼吸する息の濃さがちゃうんちゃうか、思います。
「普請負け」いう言葉が出てきます。取り壊される家のたたりで、建て替えを機に没落していくこと。入江さんは、旅でよう帽子をなくさはるらしく、自分の身代りになってくれた感覚を持たはるそうです。ぼくも実家の普請負けを見てますし、モノなくした時に身代わりおおきに感を抱きます。
こわれること、なくなること。消えること、終わること、死ぬこと。そないなこと、あんた平気やなぁ、冷たいなぁ、言われることあるんですが、その気構えが常や、いうんが京都人なんかもしれません。
一方、「京都人だけが知っている」で、京都とロンドンとの親和性を説かはるんですが、確かにおっしゃるとおり、観光大使はデヴィッド・ボウイさんがよかったとは思いますけど、それはどうでっしゃろ。
「イケズの構造」で、高慢、慇懃無礼、イヤミやとしてフランス人が京都人と似た嫌われ方をしていると指摘したはります。姉妹都市、パリのほうが似てるんと違いますかね。
「そやねえ、そう思わはるんやったら、それでえんちゃう?」
「こんな美味しいもん、勿体のうて食べられへんわ」
「五百年もしたら値打ち出ますやろ」
例示されてる、これぞ京都な物言いは、英語よりフランス語でしゃべったほうがイケズな気いしません?
ところで、その本のイラストを洛外の巨匠、ひさうちみちおさんが描いておられます。
「うんこさんか。それはな、おならとおしっこには「お」がついてるのにうんこには「お」がついてないので代わりに「さん」がついてるわけや」
本文と関係ないこのイラスト会話が一番おもろかった、いうのも一種のイケズですか。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年9月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。