新聞は“寛容性”を失ったのか?

先般、次のような話を間接的に耳にしました。あくまで伝聞なので、真偽についての確信はありません。

とあるテレビ番組で、出演者が新聞各紙の一面を比較しつつコメントするコーナーがあったそうです。

出演者の一人がX新聞の一面を他紙と比較してずいぶん”けなした”とのこと。したところ、X新聞社からテレビ局と出演者「当該番組内容は名誉毀損に該当するので提訴する」という内容証明郵便が届いたそうです。

名誉毀損は民事では不法行為(民法709条以下)に該当し、損害賠償請求が認められる場合があります。
事実を適示して個人または法人の社会的評価を著しく低下せしめた場合、公共の利害に関する事項で、その行為が公益目的でなされ、真実性の担保がなければ免責されません。

確かに、X新聞社は(国や地方公共団体といった)公的機関ではない”いち民間企業”です。
当該テレビ番組によって著しく社会的評価を貶められれば、上記の公共性や公益目的という免責要件が存在しない限り、名誉毀損による損害賠償が認められるようにも思えます。

しかし、この話を聞いて、私はどうしようもない違和感を覚えました。

まず、新聞社はテレビと同じオーナーに所有されるクロスオーナーシップが認められており、テレビと新聞を合わせれば絶大な発言力を持っています。このような絶大な発言力を持った企業を、通常の”いち民間企業”と同等に扱うのは明らかに不当です。

次に、新聞社には「記者クラブ」があり、警察や役所等の公の施設内で、”お上お墨付きの情報”を受け取ることができます。これは、私人はもとより他の民間企業にも与えられていない一種の特権です。

さらに、新聞は、再販制度によって固定価格での独占的販売権が認められています。

このように、様々な優遇を受けて絶大な発言力を持っている新聞社を、私人や他の民間企業と同様に扱うのは不当ではないでしょうか?自社にとって不本意な発言や記事があれば、(持てる絶大な発言力を駆使して)いくらでも反論できるのですから。

名誉毀損といえば、新聞紙上では見られませんが、系列テレビ局のワイドショーなどで芸能人の不倫問題等、プライベートな問題を面白おかしく取り上げています。

しかし、芸能人は国会議員や公務員等の公人ではありません。
上記の公共の利害や公益目的といった免責要件は該当しないのです。
芸能人がメディア露出によって恩恵を受けているとはいえ、厳密に突き詰めれば名誉毀損に該当する番組はたくさんあるはずです。

先般、「朝日新聞がなくなる日 – “反権力ごっこ”とフェイクニュース」(新田哲史、宇佐美典也:共著)の新聞広告の掲載を朝日新聞が拒絶したというツイートを見ました。どのような広告を掲載するかは新聞社の自由なので。先のX新聞のケースと同等に論じることはできません。しかし、昔の私の感覚だと「何とでも書きなさい。所定の広告料を払えばいくらでも広告も載せてあげるよ」という度量の広さが新聞社にはあったように思えます。

新聞の発行部数の急激な低下によって、上記X新聞や朝日新聞は危機感を抱いているのかもしれません。
しかし、新聞社は前記のような特権を持つ「究極の社会の公器」であると私は思っています。
「究極の社会の公器」としての寛容さを失ってしまえば、新聞の魅力は激減してしまいます。

紙の新聞を何十年も購読してきた者の一人として、新聞各紙は「究極の社会の公器としての寛容性」を取り戻していただきたいと切に願っています。

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。