ダイヤモンド・オンラインに先々月27日、『「一流の人に会える人」には、1つの条件がある』という記事がありました。筆者曰く、「同じ人、状況とばかりいるかぎり、成長はありません。なぜなら、同じような人、場所と一緒にいると、同じ価値観の中でしか、ものを考えなくなるからです」とのことです。
之は、筆者も言われるように「マンネリ感に支配され」るということですが、他方一切のものとある意味自立して正に「一剣を持して起つ」宮本武蔵のような「絶対」の境地に到っている人には、当て嵌まらない話でしょう。
『学問のすゝめ』の中で福沢諭吉は、「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るるものは必ず人に諛(へつら)ふものなり」と述べています。此の独立の「独」ということの東洋における意味は、一言で言えば相対に対する絶対ということです。
要は独の人は、何ら他に期待することなく徹底して自分自身を相手にして生きているわけです。武蔵の如き「一剣を持して起つ」境涯に至って、初めて人間は真に卓立し、絶対の主体が確立するのです。そうして主体的に生きている人であれば、「いつも、同じような人、環境とばかり一緒にい」ようが何をしようが、変わることなく成長し続けて行くでしょう。
毎日「同じ人、状況とばかりい」がちな会社生活においても、例えば同じ人であっても日々変化していることを忘れてはなりません。『十八史略』に「士別三日、即當刮目相待 … 士別れて三日ならば、即ち當に刮目して相待つべし」という、「中国古代史、三国時代、呉の武将の呂蒙」の有名な言葉があります。
之は旧友の魯粛に対して言ったもので、「日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっているということ。転じて、いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よという意味」になります。
最近はロボットでも、ディープラーニング(deep learning)して行きます(笑)。それこそ人間など「復た呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非ず…もはや呉の部下にいた、昔の呂蒙ではない」(魯粛)わけで、人に三日会わざれば刮目して見るよう意識すべきだと思います。
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