【映画評】猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)

渡 まち子

© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

高度な知能を得た猿と人類の全面戦争が始まってから2年。シーザー率いる猿の群れは森の奥深くの砦に身を潜めていた。ある夜、敵の奇襲を受け、シーザーの妻と年長の息子の命が奪われる。シーザーは人類の軍隊のリーダーである大佐に復讐するため、群れの仲間を安全な場所に移動させた後、モーリスやロケットら少数の仲間と共に旅に出る。途中、口がきけない人間の少女ノバや動物園出身のチンパンジーのバッド・エイプも加わり、ついに大佐のいる巨大な要塞にたどり着くが、そこで驚愕の事実を知ることになる…。

名作SFの始まりを描いた新シリーズの第3弾「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」。1968年の「猿の惑星」の前日譚を描く新シリーズは、創世記(ジェネシス)、新世紀(ライジング)と来て、本作の聖戦記(グレート・ウォー)で、ひとまず完結となる。そもそもなぜ猿が人間を支配する世界が出来上がったのか? 人間社会が滅亡に向かい猿社会が繁栄したのはなぜか? などの疑問にもきっちり答えを出している。猿のリーダーのシーザーは、人間の愛も家族の愛も知っている。そんなシーザーが、家族を奪われ望まない戦争に身を投じねばならない運命や心の葛藤は胸が痛くなるほど切ない。一度は復讐の念に取りつかれて自分を見失うが、仲間のために命懸けで行動するシーザーは、誰よりも“人間味”にあふれた頼もしいリーダーなのだ。

© 2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

シーザーが仲間たちと共に旅をするロード・ムービーの側面を持つ本作は、人間と猿の戦争という狂気に囚われた大佐を殺すために、大佐が作り上げた王国へと向かう旅。この展開はまさしく「地獄の黙示録」そのものだ。途中、人間の行った数々の愚行が描かれ、それはそのまま現代アメリカの病巣を照射することになる。シリーズを通してシーザーを演じ切ったアンディ・サーキスは入魂の名演技で、パフォーマンス・キャプチャーやCGということを忘れて、シーザーに彼そのものが重なって見えるほどだ。壮大なスケールと神話的ストーリーを最先端のテクノロジーで描くこのハリウッド大作は、オリジナルの傑作SF「猿の惑星」への敬意と、過去の数多くの戦争映画へのオマージュにあふれている。「そして、猿の惑星になる」というキャッチコピーの通り、見事に1968年版へとつながった力作だ。
【75点】
(原題「WAR FOR THE PLANET OF THE APES」)
(アメリカ/マット・リーヴス監督/アンディ・サーキス、ジュディ・グリア、ウディ・ハレルソン、他)
(ドラマチック度:★★★★★)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年10月13日の記事を転載させていただきました(アイキャッチ画像は公式Facebookページから)。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。