マイクロフト・ホームズが「弟(シャーロック)には友達がいない」という。ジョン・H・ワトスンは友達ではないのか、というと、「彼はパートナーだ」というのだ。この台詞のやり取りを聞いた時、シャーロック・ホームズのキャラクターの特異性以上に人間シャーロックの孤独さを強く感じた。
トランプ大統領が「いつかは金正恩氏(北朝鮮労働党委員長)と友達になれるかもしれない」とツイッターで呟いたことが報じられると、大きな話題となっている。
Why would Kim Jong-un insult me by calling me “old,” when I would NEVER call him “short and fat?” Oh well, I try so hard to be his friend – and maybe someday that will happen!
70歳を超えた老人とはいえ世界の大国、米国の大統領が、まだ30代半ばにもならない極東の独裁者に向かって「いつかは友達に……」と囁く場面を考えれば、その状況は通常ではないが、トランプ氏の数多くのこれまでの余り意味のないツイッターの発言と比べると、この文はなぜか読む者の心を動かす。
状況が通常ではないからではない。「友達に」という部分が非常に現代史的であり、哲学的とでも表現できるほど意味深長な感じがするのだ。
トランプ氏にはシャーロックホームズとは違い、多くの友達が多分、いるだろう。ビジネス界ばかりか、政治の世界でも決して敵ばかりではないだろう。友達と呼べる人間を持っている人は人生を生きていく上で幸福な人といえる。
ただし、トランプ氏の周辺に彼のパートナーと呼ばれているブレーン(例・スティ―ブン・バノン前首席戦略官)は見かけたが、友達の影はこれまで見えない。政争が激しいホワイトハウスにトランプ氏は自分の友達を巻き込まないようにしているからかもしれない。そうだとすれば、賢明だ。はっきりとしている点は、トランプ氏の友達と呼ばれる人間に代わって、娘のイバンカさんやそのお婿さん(大統領上級顧問ジャレッド・クシュナー氏)など家族関係者の存在感が大きい。
一方、金正恩氏はどうだろうか。北朝鮮は故金日成主席、故金正日総書記からの世襲独裁国家だ。だから、本当の友達がいないのは当たり前かもしれない。北朝鮮だけではない。共産党一党独裁政権は粛清の歴史であり、独裁者は外では強そうに見せているが、夜が訪れ、寝室に戻れば恐れと孤独に襲われ、安眠できない日々が多い。誰が後ろから自分を射殺するか分からないからだ。友達を見つけようとしても、その友達がいつ裏切るかと考えると、心を許すことができない。
当方は「藤本健二氏の『平壌の友人』について」(2016年8月12日参考)というコラムを書いた。藤本さんは金正恩氏の幼少期を知っている数少ない人間であり、正恩氏が成長すると、その“友達”として宮廷で様々な遊戯やゲームを一緒にした人間だ。年齢的に、藤本氏と金正恩氏はかけ離れているが、それゆえに友人となれたのかもしれない。脱北し、日本に一度帰国した藤本氏を金正恩氏は再度受け入れている。北では異例だ。叔父・張成沢(元国防委員会副委員長)を許せなかった金正恩氏が藤本氏を許せたのは、やはり幼い時の記憶があったからだろう。
金正恩氏はスイスのインターナショナル・スクール時代に親しい学友がいたかもしれないが、本人は実名を名乗ることもできなかった。心を許せる友達が周囲にいないとすれば、金正恩氏はその飢えをどのように癒してきたのだろうか。
彼の実妹、金与正さんが先月7日、労働党中央委員会第7期第2回全員会議で政務局候補委員に就任し、兄の政務を助けているという。実妹はトランプ氏の娘、イバンカさんのような立場だ。偶然か、それとも必然かは別として、金正恩氏もトランプ氏も友達の不在を親族で補い、その職務を任せてきているわけだ。
そしてトランプ氏が今、「いつの日か友達に……」と呼びかけているのだ。この呼びかけ、ひょっとしたら実現するかもしれない。なぜならば、年齢の差こそ離れているが、両者は似ているからだ。
フェイスブックの利用者の中には数百人の友達がいると誇示している人もいるが、本当の友と呼ばれる人がその中に何人いるだろうか。現代は友達を見つけるのが難しい時代だ。無数の“仮想”友人に囲まれながら、本当の友がいない人が少なくない。人は友達を必要としている。トランプ氏も金正恩氏もその点、例外ではないはずだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。