今回、ご縁があり、「第8回全国・講師オーディション」(主催:志縁塾、協力:フジサンケイビジネスアイ、後援:TSUTAYAビジネスカレッジ)に審査員として出席してきた。主催代表の、大谷由里子さんは故横山やすしさんのマネージャーをつとめ、若手だったタレントを次々に売り出した敏腕マネージャーとしても知られている。
優勝者の中村経子さんから、興味深い話を伺ったので紹介をしたい。中村経子さんは(臨床心理士、兵庫県スクールカウンセラー)は、大学院修了後、適応指導教室相談員として不登校児の支援に携わり、2002 年、公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会「臨床心理士」資格取得。以来15年間、スクールカウンセラーとして活動している。
笑顔とユーモアで打ち解ける
――1995年1月17日早朝、激しい揺れが兵庫県南部をおそった。阪神・淡路大震災が発生した当時、中村さんは大学生だった。
「1995年12月。わたしは第1回神戸ルミナリエで屋台のアルバイトをしていました。毎日、大変なにぎわいで、冷蔵庫に缶ビールをいくら補充しても問に合わなかったことを覚えています。あれは最も混雑した時問帯だったでしょうか。お客様の男性に缶ビールを手渡したところ、『冷えてへんやないか』と怒鳴られてしまいました。」(中村さん)
「わたしは『すみません、これしかないです』と謝りましたが、男性はそのままぶ然とした表情で立ち去りました。当時はその態度を腹立たしく思ったものでした。」(同)
――2011年3月11日、宮城県牡鹿半島の東南東沖を震源とする東日本大震災が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0、日本周辺における観測史上最大の地震となった。
「東日本大震災発生後、わたしが初めて東北を訪れたのは2011年5月のことでした。宮城県沿岸部の被災した地域の学校が再開してようやく2週間。自衛隊や各都道府県の警察車両が町の中を行き交っていました。派遣先となった南三陸町の小学校での出来事です。わたしはあのルミナリエでの一件を思い出していました。」(中村さん)
「『自分が何かの役に立てるのだろうか』と考えながら歩いていました。すると、小学校の子ども達が『先生はどこから来たの?』と話しかけてきました。わたしが『兵庫県だよ』と言うと、間髪入れず『ヒョウゴケンには何があるの?』と返ってきました。」(同)
――そして、次にこのようなやり取りになった。中村さんが、苦しまぎれに「神戸牛」と答える。すると、今度は子ども達が「コウベギュウって何?」と返す。中村さんが、「牛のお肉だよ」と説明すると、子ども達は「先生、『にく』って言わねえよ。『ぬぐ』だよ、『ぬぐ』」と、ゲラゲラ笑いながら教えてくれたそうだ。
「わたしが驚いたのは子ども達の『人懐っこさ』です。その頃、本当にたくさんの人々が東北沿岸に駆けつけていました。もちろんわたしもその1人ですが、学校にも毎日、たくさんの来客がありました。誰かが教えたわけでもなく。子ども達は外部からの訪問者とすぐに仲よくなる方法を身につけていたのです。」(中村さん)
「それは笑顔とユーモアでした。不思議なことに、一緒に笑うだけですぐに打ち解けることができました。子ども達のおかげで自然と学校に馴染むことができました。『ぬぐ』の子達は今、高校生になりました。本当に月日が経つのは早いですね。」(同)
――気がついたら、中村さんはすっかり東北の人達が大好きになっていた。初めて南三陸町を訪れた頃は、日が暮れると真っ暗だった。震災から1年が経ったころ、交差点の赤信号に大喜びした。そして、太陽光発電式の街灯は神戸から贈られたものだと知る。
「今になって思えば、ルミナリエで出会ったあの男性は、『酒でも飲まずにいられるか』という心境だったのかも知れません。事実、東北の被災地でもアルコール依存の問題が急増していると聞きます。胸に抱えている悲しみや苦しみは、すぐにはそれとわからない形でしか見えてこないものなのだと思います。」(中村さん)
自分の使命(ミッション)について考える
――以前、主催代表の大谷由里子さんから、次のような話を聞かされたことがある。
「今を生きている人は、今、この瞬間を大切にしています。私は、阪神・淡路大震災を経験した時に、『生きている』ことを素直に感謝できるようになりました。」(大谷さん)
「何気なく生きている今日1日、何気なくすごしている数時間、これって、誰かが生きたかった1日、誰かがすごしたかった数時間かもしれない。自分の命の使い方・・『使命』について真剣に考えるようになりました。」(同)
――大谷さんは、阪神·淡路大震災で被災し途方にくれていた。神戸の取引先と連絡が取れないため、横たわった阪神電車の線路を見ながら、大阪から歩いて向かった。普段、電車だと三ノ宮までは、30分。4時間の道のりで見た光景に愕然とした。道幅1mを挟んで、左側の家はすべて全壊、住んでいた人達は亡くなった。
一方、右側は何事もなく昨日までと変わらぬ生活をしている。この道一本の差は何なんだろう。悶々としながら、神戸の取引先に着くと、みな輪になって焚き火で暖をとっている。「よう来たな!」「まあ、こっちに来て一杯やろうや!」と知り合いの社長。
自分も会社が被災して大変なのに、笑わせて励まそうとする。その時に、「言葉のもつ影響力」の大きさを実感する。そして、いまの使命(ミッション)になった。
私たちは、深く考えることもなく日常を送っている。「何気なく生きている今日1日、何気なくすごしている数時間を、誰かが生きたかった1日、誰かがすごしたかった数時間かも知れない」と置き換えれば、時間の大切さを理解できるのではないか。年末~新年を迎えるにあたり、「生きていることの意味」についてかみしめてみたい。
尾藤克之
コラムニスト