心理瞬説「わたしおかあさんだから」女性束縛神話の今

杉山 崇

話題を呼んだ作家さんの作品だけど…

『ママがお化けになっちゃった!』がさまざまに話題になった作家のぶみさん。作詞した「わたしおかあさんだから」がネット上で多くのネガティブなリアクションを呼んでいます。「わたしおかあさんだけど」や「おまえおとうさんだろ」といった替え歌も話題になり,一時はいわゆる「祭り」の様相を呈しました。もちろん,歌詞に共感するリアクションもあるわけですが,反響の大きさに,のぶみさんご本人もコメントを出すことになりました。この一連の出来事について,心理学者の視点で考えてみたいと思います。

臨床心理士の視点では「だから」にも「だけど」にもリアリティがある

母親カウンセリングの現場にいた臨床心理士としては「わたしおかあさんだから」にも「わたしおかあさんだけど」にも双方にリアリティを感じました。多くのお母さんの実像としては,「だから」と「だけど」の2面性があると思われます。私の印象に過ぎませんが、仮に“「だから」:「だけど」比”があるとしたら「1:1~4」の範囲が頻度高いような気がします。

では、実際の一端を描きながらネガティブなリアクションを呼んだのはなぜなのでしょうか?この歌詞の主人公の心理から考えてみましょう。

歌詞は,独身時代と今を対比させて「子どもがいなかったら絶対にやらなかったことを何故かやっている私」に微かな疑問を持つところから始まっているようです。そして,自身の疑問に対して「わたしおかあさんだから」と自答する形で詩が展開します。やがて,子ども可愛さで「自分らしさ」のようなものを見失っても「わたしおかんさんだから」と納得して終わっています。


心理学の視点で見ると「ベイビーシェマ反応*」と「自己確証**」の葛藤(心のなかでの矛盾)の詩かな…と思われます。母親カウンセリングなどでは決して珍しくない葛藤です。ただ,「おかあさんだから」と納得する結末は,見る人が見たら「母性本能神話」を連想する印象を受けました。

女性を縛ってきた母性本能神話と3歳児神話

母性本能とは“女性は子どもができると本能的に子どもに献身することが喜びになる…”という神話です。実は母性本能が神話であることは半世紀以上前から指摘されていました。しかし,高度経済成長期の日本では女性に結婚・出産を機に早期退職を促す職場風土の根拠の一つになっていたようです。一部の女性にとっては自分らしい生き方を奪う神話だったかもしれません。
よく似た神話としては「3歳児神話***」があります。この神話は,私が確認した限りでは信頼できる科学的根拠は乏しいようです。むしろ,乳幼児は愛されて育つ必要が有ることを訴えた精神科医・J,Bowlby(1907 – 1990)の主張を恣意的に切り取った、あるいはその他の研究データの解釈を意図的に誤った可能性もあります。表現は悪いですが根拠を捏造した神話とも言えるかもしれません(****)。

「わたしおかあさんだから」祭りから学びたいこと-おかあさんダイバシティの時代

現代の日本は各方面で高度成長期の価値観,すなわち「昭和の価値観」を「より合理的・科学的な新価値観」に書き換えつつある時代です。ただ,子育て関連の価値観は誰もが当事者です。それと気付かずに感情的になってしまいます。なかなか合理的・科学的に書き換わりません。その中で「わたしおかあさんだから」の歌詞は母性本能神話とその被害者を連想させたことでこの度の「祭り」を呼んだように思えます。

ただ、作家のぶみさんが語っているように、この歌詞は一部の「おかあさん」のリアルなお気持ちの一端を謳っていることも事実です。本当にこのように感じているお母さんたちはこの祭りで傷ついているかもしれません。「おかあさん」のあり方は誰かが決めつけなければいけないものなのでしょうか?

私には「おかあさんだから」も「おかあさんだけど」も素敵な「おかあさん」を謳っているように見えます。子どもが常識の範囲内で幸せであれば、おかあさんのあり方は「みんな違って、みんないい」のではないでしょうか。近年はダイバシティ(多様化)が尊重される時代です。価値観の新旧が交錯しやすいテーマではありますが、いろんな「おかあさん」の存在が認められる時代、すなわち「おかあさんダイバシティの時代」を目指したいですね。

注)
*:子どもの可愛さに本能的に反応して,何でもやってあげたくなる心理。男女を問わず哺乳類全般に存在すると言われている。母鹿を食べてしまったライオンが子鹿を育てた事例も。
**:自己イメージを確認したいという人間的な欲求。
***:子どもは3歳までは母親が育てなければ正しく成長しないという神話。

****:『心理学者・脳科学者が子育ててしていること、していないこと』

杉山崇

神奈川大学人間科学部教授