前回記事の続編として「私個人が考える新興保守政党が進むべき道」都民ファーストさん(以降1st)版をまとめさせて頂きました。
都民ファーストとは「指揮者のいないオーケストラ」
彼らのガバナナンスを考える上でのキーワードを生みの親である小池知事の知事戦選挙演説から垣間見ています。
都知事戦中、逐次訴えられてきた『チームリーダーが指揮者ではなく第一バイオリン(コンサートマスター)である組織つくり』ですが、これは90年代から今世紀初頭に世界の組織学界を風靡させたオルフェウス室内交響楽団(以後OCO)のマルチリーダシップ制を都で実現させたいというご意思を暗に訴えられていたのだろうと解釈しています。
OCOには指揮者が存在しません、全ての演奏者に指揮権がシェアされていて演奏プログラム作成も含め全事象がメンバーの合意形成によって決定されます
またOCOプロセスは既にハーバード大やモルガンスタンレーなど世界中の企業・機関で研究されており、発表資料も豊富にあります
参考情報としてOCOの憲法というべき媒体「OCO8つの原則」を添付します(太字は筆者が特に1stのガバナンスから感じる原則)。
・その仕事をしている人に権限をもたせる
・自己責任を負わせる
・役割を明確にする
・リーダーシップを固定させない
・平等なチームワークを育てる
・話の聞き方を学び、話し方を学ぶ
・コンセンサスを形成する
・職務へのひたむきな献身
OCOプロセスは「決定権限をより現場に」「都民が決める」をスローガンに活動する知事・1stにとって理想的なガイドラインであったろうと推察しています。
※なお、この「決定権を都民に近づけるガバナンス」の導入は現在党の方では難航している模様ですが、知事側では鋭意継続中とみていますので、「(知事権限を減らそうと改革している方に)知事の決断性の鈍さを批判する声」については個人的には大きな疑問を抱いています。
しかしこの知事の目論見は「嬉しくも凄惨な悲鳴」によりほころびが始まります
勝ちすぎた代償
(これは私の完全な推測ですが)都議選前は議席過半数奪取を目標に掲げた知事でしたが、実際の所は(OCOメンバーとほぼ同数となる)全立候補者56名のうちの約半数である30人弱が当選できれば上等であるとお思いだったのではないでしょうか?
OCOが28名という小規模で運営されるのには理由があります。大人数でマルチリーダシップ制を行うと収拾がつかなくなるからです。機会があれば是非OCO公演をご覧いただきたいのですが、彼らは楽曲ごとにフォーメーションを変えます。あれを50人規模の、それも若く未熟な組織で実行するのは不可能に近い行為だと断言できます。
歴史的大勝に沸く昨年都議選直後の舞台裏で「指揮者のないオーケストラ」は急造の指揮者が必要という現実を悟り、コンサートマスターである知事は組織の生き残りを賭け、ほぼ独断で野田数氏にタクトを託したのだと思います。
しかし上手くいかなった。それは野田さんの能力不足などではなく、マルチリーダーシップを目指して作って来たチームを一夜にしてトップダウン型に改変するなど土台無理な話だったのです。
(『せめてリーダーを固定する期限をコミットメントしておけば良かったろうに』とは正直思いましたが)
党勢復活の鍵は「仁」の構築
1stのガバナンスからもう一点強く感じているのが「武経七書」と呼ばれる中国古典兵法書で紹介されているチームビルドです。
字数の関係上、詳しい解説は割愛させて頂きますが、七書のうち最も有名である孫子ではチーム責任者の必須素養を五徳「智・信・仁・勇・厳」と呼びます。私が拝見する限り1st所属議員は特に「智・厳」の秀でた人物が多い様に感じます。
彼ら最大のライバルである自民党さんが掲げている「儒教での五徳『仁・義・礼・智・信』」との最も大きな違いは「厳」と「礼」の有無であり、都議戦中1stがとっていた(彼らのストロングポイントである)「厳(真面目さ)」を前面にアピールする戦略は正しかったと思っています。
逆に今1stが抱えている問題は残りの3要素の欠落、特に「仁」の弱さが致命的と思えてなりません。
ざっくり言うと今1stは「真面目で優秀だが思いやりがない集団」と有権者から評価されているという事です
※もっとも仁を強く押し出した組織は癒着や談合を起こしやすいという弱点も伴いますので、それを嫌って敢えて仁から距離を置いていらっしゃるのならば、もしかするとそういった選択もあるのかもしれません
現状の1stが党勢を盛り返す為にはストロングポイントである智と厳をフル活用し、有権者生活に直結する政策、例えば「都営地下鉄早朝無料」クラスの大花火を結実させるか、若しくはウイークポイントである「仁」の存在を内外にアピールするしかないと見ています。
ではどのように仁の存在をアピールするか?
最もシンプルな方法は音喜多先生を復党させる事です。離党時の音喜多先生の行動は噴飯ものでしたが、ご発言自体は決して間違っていませんでした。また音喜多先生もご自身の党をお持ちの上田先生とは異なり1stの問題提起だけを動機に離党されていますから本来組織に残り組織改革に勤しまなくてはいけなかった筈です。一定の交渉の後、音喜多先生の復党を円満・誠実に達成できれば有権者らは党の度量の大きさに感服し、旧来若しくはそれ以上の党勢回復も夢ではない筈です。
しかし、あれだけ奔放な方を復党させるには1stのストロングポイントである「強い厳」が邪魔をするのが明らかな為、かなり難解な選択だとも思います。
ならばせめて上田・音喜多両氏の離党騒動とほぼ同時期に勃発した維新、丸山先生の離党悶着を考察し「なぜ音喜多駿は離党し丸山穂高は離党しなかったのか」について一定の結論を示す事が大切だと思えてなりません。
あの離党阻止劇には維新の持つチームワーク・仁を強く感じられたからです。
皆さんは如何お考えになりますか?
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天野貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表