学校教諭を公務員にしておく必要はない!

荘司 雅彦

私立高校の授業料無償化によって、公立高校が大幅な定員割れを起こしている。
この現象だけを捉えて、生徒たちの保護者が「公立」よりも「私立」を高く評価していると断ずるのは早計だ。

しかし、同じ教諭でありながら、「公立」と「私立」とで大きな身分の違いがあるという点は早急に是正すべき問題だ。
公立学校の教諭は公務員であるのに対し、私立学校の教諭は公務員ではない。

両者の間で最も大きな違いが出るのは、学校事故等が起こった場合の教諭個人の賠償責任を問う場合だ。

国家賠償法1条1項は次のように規定している。

国又は公共団体の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

最高裁は、国又は公共団体が賠償責任を負う場合には、加害行為を行った公務員個人は被害者との関係では賠償責任を負わないとしている。

公務員個人に、故意又は重過失があった場合には、国家賠償法1条2項で求償ができるが、実際に十分な求償がなされることは滅多にない。

教諭個人をどうしても許せなかった保護者が、長年かけてようやく100万円の求償を認めさせたという事案が先般あった。私立学校の教諭の場合、教諭の加害行為等で子供を失ったりした保護者は、教諭個人と学校を相被告として提訴することができる(民法709条、民法715条)。その際、教諭は「重過失」でなくとも「軽過失」でも賠償責任を負う。

「重過失」と「軽過失」の違いは、文言で感じるよりも遥かに大きいのが裁判実務だ。

公立学校と私立学校の教諭の責任にこれだけ大きな違いが生じているのは、公立学校の教諭の行為が「公務員による公権力の行使」だとされているかだら。

「公立」と「私立」の学校教育の現場で、「公権力の行使」云々を持ち出すほど大きな違いがあるとは、少なくとも私には思えない。

公立学校を国立大学法人のようにして、教職員を公務員でなくしてしまうのが公平だし、教育現場における緊張感も高まる。現在のように個人責任の追及が甘々だと、教諭たちの間にモラルハザードが生じ易くなる。

義務教育課程では、私立学校のように生徒を選別できないという事情もあるだろう。対処困難な生徒や保護者が多いという事情もあるかもしれない。

そのような場合は、民法715条3項の学校から教諭への「求償権」を制限(場合によっては認めない)するようにして弾力的に運用すればいい。公立学校の教諭だけを画一的に国賠法で過保護にするよりは、事情に応じた弾力的な解決が可能だ。

また、教諭を公務員から除外すればわが国の公務員の人数を大幅に減らすことができる。公立学校の教諭の人材を多方面から集めることができるというメリットもある。

多くの反対が予想されるが、反対が多いと言うことは「特権的身分を奪われたくない」ということだろう。

公務員は全体の奉仕者だ。
決して特権であってはならないし、特権化しているとすれば即刻改めるべきだ。

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。