ストーリーテリングで聞き手の感情を捉えて揺さぶるためには、「感情移入」が不可欠であることを前回述べた。「感情移入」をさせようとして、多くの作り手が失敗するのは次のようなパターンだ。
事故で亡くした子供のことを思い出しながら、母親が涙ぐむ。
スローテンポなBGMが流れて、背景には夕日が…。
このようなパターンを「しみじみ回顧パターン」と私は呼んでいる。
「しみじみ回顧パターン」が一部の聴衆の「感情移入」を生じさせない最大の理由は、それらの聴衆が同じような経験を全く有していないからだ。
結婚もしていなければ子供もいない男性にとって、子供を失った母親の感情に同化するのはとても難しい。
つまり、「しみじみ回顧パターン」は、聴衆が同様の経験をしていないと「感情移入」は生じにくいと言っても過言ではない。
従来の映画やドラマの「しみじみ回顧パターン」が、死別したり行方の分からない母親を偲ぶものであった最大の理由は、聴衆のほとんどが母性愛を経験しており、ほとんどの聴衆の経験値に合致したからだ。
このように、ストーリーテリングにおいて「しみじみ回顧パターン」を組み込めるのは、聴衆や聞き手の経験値に合致したものに限られる。
例えば、交通事故で子供を亡くした親たちの集まりであれば、先ほどのような「しみじみ回顧パターン」が通用するが、失恋して悩んでいる人たちの集まりでは通用しないだろう。
それに比べ、前回説明した「ハラハラドキドキ危機一髪パターン」は、「感情移入」という点では普遍性が高い。大沢在昌氏も、著書「売れる作家の全技術」の中で「主人公を徹底的にいじめ抜け」という趣旨のことを書いている。
主人公が苦境に陥れば陥るほど、読者が主人公に「感情移入」するからだろう。
以上のように、聴衆が(「子供を亡くした母親」というような)特殊な属性を持っている場合には「しみじみ回顧パターン」は有効だが、聴衆の属性が分からないときは「ハラハラドキドキ危機一髪パターン」の方が無難だ。
聴衆に「感情移入」をさせたら、後はこっちのモノだ。
心を鷲掴みにして、グイグイ感情を揺さぶろう。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。