米コロラド州、洋菓子店は 同性婚者の注文断る権利

長谷川 良

米コロラド州で同性婚の男性カップルが結婚式用のケーキを注文したところ、洋菓子店の店主が、「自身の宗教的信念から作れない」と断った。そこで同性婚カップルが、「同性婚者への不当な差別だ」と訴えた。州公民権委員会は、「性的指向を理由とする差別を禁じた州法に違反する」として是正命令を出したが、店主側が提訴。米連邦最高裁判所は4日、「店主の信教の自由の権利も尊重しなければならない」と指摘し、店主側の主張を支持する判決を下した。

▲ウェディングケーキ The Yokohama Bay Hotel Tokyuのサイトから

上記の外電ニュースを読んだ時、「売り手」(洋菓子店)が「買い手」(同性婚者)の要望をさまざまな理由から断ることは日常茶飯事ではないか、と考えた。「需要」と「供給」で機能する資本主義社会の商いの原則からみて、「買い手」と「売り手」は平等の権利を有している。「売り手」が「買い手」に「あなたには売らない」といって断る権利はある。それをいちいち説明する必要は本来、ない。ましてや「信教の自由」云々を持ち出すまでもないだろう。

米国の場合、「買い手」は同性婚カップルだ。その結婚式用のケーキを注文したが、店主が断った。その時、「どうして?」と尋ねたはずだ。店主が正確にどのように返答したかは知らないが、「自分は同性婚には同意できない。その結婚式を祝うケーキはそれ故に作れない」と説明したのだろう。同性婚カップルは驚き、「性差による差別行為」と捉え、即訴えた。ちなみに、米国では2015年、全州で同性婚が公認されている。同性婚カップルにとって、洋菓子店の注文拒否は明らかにそれに違反していると判断したわけだ。

米連邦最高裁判所は今回、「信仰の理由から買い手の要望を断る理由は店主にもある」と指摘し、店主側の勝訴を言い渡した。ただし、「信教の自由」と「同性婚の権利」との関わりについては言及を避けたという。

洋菓子店は民間の商売だ。国営でも公営でもない。店主は自身のやり方で商いを行う。「買い手」市場を開拓するために様々な宣伝もするだろうし、今回のように店主の人生観、世界観と一致しないお客の注文があれば、それを断ることもあるだろう。「信教の自由」の権利など取り出すまでもなく、それは「売り手」の権利だ。もちろん、客の注文を断ることは店にとって大きなリスクだ。店主はその危険を冒しても断るかどうかを判断しなければならない。断れば、店側は注文を一つ減らすのだ、ひょっとしたら、口コミで他のお客も失うかもしれない。「売り手」の注文を断る権利はそれだけシリアスなわけだ。

一方、同性婚者は社会では少数派だ。だから、その権利を守るべきだという声は理解できる。歴史を振り返るまでもなく少数派は過去、多数派の横暴に泣いてきた。しかし、人権に対する民意が高まるにつれ、少数派の権利擁護の動きが出てきた。問題は、少数派の権利を重視するあまりに多数派の当然の権利を無視する傾向が見られ出したことだ。「寛容」と「連帯」は現代人がもっとも頻繁に使用する言葉だ。それらは通常、少数派の権利保護に向けられるが、多数派に向けられることはほとんどない。

オーストリアで医者が難民の診療を断った。それが伝わると、メディア関係者からだけではなく、現地の医者会からも圧力がかかってきた。その結果、医者は引越しを余儀なくされたという話を聞いたことがある。 医者には患者(難民)を断る権利はある、正式の健康証明書を所持せず、多分、治療費も払えない難民を受け入れていけば、肝心の通常の患者を診る時間が無くなる一方、患者からも不満の声が出てくる。しかし、困窮下の難民、それも病気かもしれない難民の診察を断るとは、というバッシングの前に医者は応戦できなくなった。人々は自身がその信条で生活していなくても、「寛容」、「連帯」を好んで叫ぶ。ある意味で無責任だ。

ウィ―ンの喫茶店でレスビアン同士がキスをした。それを目撃した喫茶店のオーナーが彼らに「店から出ていってほしい」と言った。その翌日、同性愛者グループがその喫茶店の前に集まって抗議し、店の営業を妨害したという話もある。これなどは、少数派の暴力だ。

話を米の洋菓子店問題に戻す。当方は洋菓子店には「買い手」の注文を断る権利がある、と考える。「自身の信仰と一致しない」という理由から客を断る洋菓子店の店主は同性婚者と同様、今日、少数派だろう。その意味から、少数派の洋菓子店側の権利を認めた今回の連邦最高裁判所の判決は貴重だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。