天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず

LINEの元社長で現在C Channelトップの森川亮さんは、「駄目になってしまった会社の人と話をすると、駄目になってしまった理由として、経営者が情に流されてしまったというのが多い」と言われています。ですから森川さん御自身は、「とにかく情に流されずに正しい意思決定をしなければいけないと考えていた」ようで、「深く人を観察して組織を知った上で、冷静な判断をするということを心がけるようになった」とのことです。

王陽明が弟子に与えた手紙の中に、「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」という言葉があります。私は、王陽明が言うように企業経営においても、やはり一番大事なのは知、単なる論理でなしに情と合わさった理というもの、情理だと考えています。

人間ややもすると情よりも知の方に重きを置きがちですが、そのプロセスとして必要なのは論理で考えて行き、最終結論を下す前に情理で再考することです。人間の世界は所詮「喜怒哀楽の四者を出でず」、それぐらい情というのは大事なのです。

『草枕』の一節に、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とあります。「情に棹させば流される」かもしれませんが、要は知情意を如何にバランスさせるかの問題であって、画一的に情と知とを分けるものではないでしょう。私自身は、此の知情意の中でも殊に情意が重要だと考えており、とどのつまり人が動かされるのもその全ては情意だと思っています。

情意に知も含めた形でバランスを取り成長して行くことが、人間として非常に大事なのだろうと思います。此の知に関し安岡正篤先生は、「知は渾然たる全一を分かつ作用に伴って発達するものだから(中略)、われわれは知るということをわかると言う。(中略)だから知には物を分かつ、ことわるという働きがある」と言われています。

例えば、疒垂(やまいだれ)の中に知識の知を入れて「痴(ち):愚かなこと。また、その人」という字が出来ていますし、此の原字は知ではなく疑問の疑を疒垂に入れて「癡(ち)」という同義の字であったわけですが、やはり割り切ってしまう知、劃然(かくぜん)たる知は本当の知ではありません。

己をまともな人間にしようと自ら身に付けたものを行じていき、最終的には人を化して行くような人間の知とは、知は知でも情意が含まれた知であろうということです。上記「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」とは、之を王陽明が一言で言わんとしているのかもしれません。

最後に本ブログの締めとして、安岡先生の言葉を紹介しておきます――利口な人間、才のある人間、意志の強い人間、それはそれぞれ結構である。それぞれ結構であるけれども、本当に正しい人には、それだけではなれない。必須の条件は人情深いということである。情というものは、人間の一番全き姿を反映するものである。

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